国立大学の准教授を退職することになって
「コーチング」に出会った時、私は九州の国立大学で准教授をしていました。26歳のときに当時勤めていた会社を辞めてアメリカに留学し、この職を得るまでの約10年間、そしてこの職を得てからのさらなる約10年間、私は「自分のキャリア」のためにずっと必死でがんばっていました。
九州の大学に職を得たあと間もなく結婚し子供も生みましたが、夫の職場が遠方だったため、出産休暇と育児休暇の期間を除くと、妊娠中も含めて大学に在職の間はほとんどの期間、夫と離れて暮らし子育ても一人でしていました。その間、まだ小さい子供のこと、がんに罹患して次々に亡くなった遠方の両親のこと、職場の問題でストレスを抱え込んでいた単身赴任の夫のこと、そして年々忙しさと責任を増す仕事のこと・・・今思えば、心身ともに限界を感じながらも(実際、大腸ポリープなんぞができて手術をするハメになったのですが!)、私は全てを一人で背負い込み、誰にも頼ることはできないのだ、という気持ちでもって自分を支え、がんばりつづけました。そしてその間、私は仕事を長期間休んだり辞めたりすることは一度たりとも考えませんでした。教育者としてまた研究者としての大学准教授の職は、「私」そのものでした。
その職を辞めてアメリカで暮らすことになったいきさつの詳細はここには書ききれないのですが、ひとつ言えるのは、私は「辞めたい」と思って辞めたわけではなく、当時の職場に問題があったということでもなく、「(非常に辞めたくないが諸々を慮ると)辞めるしかない」と考えた上での決断だった(と少なくとも当時は思っていた)ということです。そしてその決断をしたのは誰でもない私自身だったのですが、その際はとても大きな葛藤がありました。さらに自分で決断をしたにも関わらず、職を離れる前後の長い期間、大きな喪失感や自尊心の低下や将来に対する不安感、そして夫や息子に対して自分だけが犠牲になっているかのような感情を払拭することができませんでした。そして同時に、死にゆく母を十分に看護してあげられなかったことや、母の死後、父がアルコールに依存するようになり結果的に自宅で孤独死することになっことに対する自責の念、また、父母を続けて亡くした埋めようのない孤独感も、ずっと引きずっていました。
健康な体と優しい夫と可愛い息子そして生前の両親から溢れるばかりの愛情を受けてきた自分の幸運を認識しつつも、まるで全てを失ってしまったかのような気持ちの落とし穴にすっぽりとはまってしまって抜け出せない・・・そんな自分が恥ずかしくて情けなくて愚かしくて認めたくなくてさらに落とし穴にはまっていく・・・私が「コーチング」に出会ったのは、そんな時でした。
コーチングのクライアントとして得たもの
「コーチング」を学んでいく過程では、「コーチ」としてだけでなく「クライアント」として多くを学びます。最初のころは「コーチ」としてよりはむしろ「クライアント」として、私は私が知らなかった「私」に多く出会いました。あるいは、なんとなく感じてはいたけどはっきりとは言葉にしたことがなかった「私」の姿が鮮明に浮かび上がってくるような体験をしました。
例えば私は仕事を辞める決断に至る過程でいろんなものを「手放す」感覚を味わったのですが、最後の最後に捨てきれなかったものとして残っていたのが「やりがい」でも「安定した収入」でもなく、「准教授」という「肩書き」であったことに我ながらショックを受けました。一方で、退職後はそれまでの努力や実績が全て無駄になってしまったような喪失感を抱いていたのですが、「肩書き」がなくなっても自分がこれまでやってきたことが消えてなくなったわけではなく、それは自分の実力や経験として残っている自分の一部なのだ、ということも、コーチングを通して認識できるようになりました。
またいろんなことを「がんばって」きた中で、自分が多くのことをあきらめてがまんして無理してきたのだということと、そういう自分にうんざりしているのだということも見えてきました。そして自分が「わがまま」や「自分勝手」と感じて抑えてきた感情や欲望を必ずしも否定的にとらえる必要はなく、むしろそれらを肯定することは私が私らしくある上でとても大事な部分なのだということが分かってきました。
コーチとして得たもの
「コーチ」としての経験を積み学んでゆく過程でも、コーチングの技術や知識だけでなくやはり自分のことをより理解するようになりました。例えば私は非常にエネルギッシュでパワフルな人間で、それゆえに(良くも悪くも)他人に大きなインパクトを与え得るということです。そして私はそのような自分の特質をはっきりと認識していなかっただけでなく、(はっきりとは認識していなくても)人生のとても長い時間、それをひたすら押し殺そうとしていたことが明らかになってきました。ただ、私が押し殺そうとしてきたにも関わらず、多くの人が(私から漏れ出る)私のエネルギーとパワーを感じていたのだということも分かりました。
自分が変わってきたと感じるようになって
色んな人からずっと「がんばりすぎよ」と言われ続けていました。でも、実際に自分ではがんばり「過ぎている」とは思っていませんでしたし、逆に「私ががんばらなくて、どうするの?誰か代わりにがんばってくれるの?」くらいに思っていました(傲慢です^^;)。それが・・・ようやく「腑に落ちる」ようになったのです。「ああ、自分は、ずっと、がんばり<過ぎ>ていたんだな〜」と。がんばり<過ぎる>のは、私の根がまじめな性格や果てしない向上心の表れであったとも言えます。一方で、どこまで行っても、「理想の自分」は、いつも遠い。不幸なわけじゃない。ちゃんと人生を楽しむこともしている。基本的にネアカ。でも、「今」の自分の素晴らしさを、誰よりも自分がちゃんと認められないから、いつもどこか、苦しい。どれだけがんばり続けても、自分に対して「オッケー」を出せない。それが私でした。
コーチングと関わるうちに、ある時からだんだんと、私は自分が変化してきていることに気がつくようになりました。小さいことから言えば、たとえば、義妹家族が日本からアメリカの我が家に遊びにくる際に、それまでであれば客が来る前は見えない棚の中まで掃除していた私が、「ま~、い~や~」と適当に掃除して済ませられるようになったこと(笑)。洗濯物をたたまずにしばらくほっておけるようになったこと(気になるけど。笑)。友人らと集っているときに、ちょうど良いタイミングで会話に入れなかったり、コメントがかぶったりしても「まあいいや」と思えるようになったこと。そして、そういうふるまい自体が、少し減ってきたこと。
また、一日に済ませる仕事の分量を、あらかじめ少なく見積もるようになったこと。そしてそれによって結果的には前よりも多い仕事量を気持ちよく集中してこなせるようになったこと、などなどがあります。そして諸々のことについて「“思うように”できなくてもいい」と思えるようになりました。それは「思うようにできない自分」もまた自分であると認めることができるようになったから。以前は「思うようにできない」今の自分を否定していたので、そこから「できるようになる」未来の自分までの道のりが苦しかった。でも、「思うようにできない」今の自分を認めることができるようになると、「できるようになる」ための未来の自分への過程を以前よりも楽しめるようになって、結局、「できるようになる」までのスピードが増す、ということに気がつくようになりました。
そんなある日、ふとしたきっかけで、まるでヘドロのように身体の中にたまっていた両親のことに対する自責の念が、なくなっていくことを感じました。今は、透明な悲しみの湖だけが身体の中に残っているような、そんな風に感じています。
コーチになる決意
これは、コーチングって、マジですごいかもしれない、そう思いました。そして、最初は「ぼちぼち」とやっていければいいかな、と思って学び始めたたコーチングでしたが、よし、女子一生の仕事にしよう、私の次のキャリアにしよう、と決断しました。
変化は決断から始まります。色々な助けやご縁をいただいて、私はコーチとして本格的なキャリアを歩み始め、人間としてとても魅力的なクライアントにも恵まれてきました。その方達は、不思議となんだか少し前のそして今の自分とも似ているようなー一生懸命がんばってきて、今もがんばっていて、模索している、そして無限の可能性を持っているーそんな人たちです。
私自身も常に模索しています。さらなる変化の途上です。だからこそ、クライアントの方と一緒に模索して、変化して、クライアントとともに人間としてもコーチとしてももっと成長していきたいー日々そう思いながら、コーチングをしていいます。