「習いつつ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚かなりけり」—利休道歌

「習いつつ見てこそ習へ習はずによしあしいふは愚かなりけり」—利休道歌

これも「利休道歌」、お茶の精神と作法などについて和歌に詠んだものをまとめたものの一つです。

なんでも習ってみてこそ、やってみてこそ、分かるもの。やりもしないで、あるいは中途半端に手をつけてみただけで批判したり文句を言ったりするのは愚かなこと・・・という意味だと理解しています。

これも、お茶の道に限らず、どんなことにも言えることだと思います。

私が大学の教員・研究者だったころの専門は「コミュニケーション学」で、「コミュニケーション情報学科」という学科に所属していました。

「コミュニケーション」というのは、一般的にはいまや浸透している言葉ですが、学問領域としては(特に日本では)比較的新しいんです。だからなのか、日本の大学や学問の世界では、「で、それは、なんなの?ほんとに学問なの?」という受け止められ方がされてきているところがありました。(新参モノに対ししてはどこの世界もそうだと思いますが)だから、いろんなこと言う人、いるんですよ^^;;

そういうとき心密かに思っていたこと。それは「でも、イメージだけで色々言っているけど、実は何も知らないでしょう?」ってことでした。そして「で、なんのかんの言って、ちょっと気になってるんでしょ?」ってことでした^^

「コーチング」も、特に日本では新しいこと。だから、そういうところ、あると思います^^;;・・・実はかつての私自身にもありました。なんと言うか、「???(ちょい不信)」な感じ。

ただ、自分でも良かったな、と思うのは、でも、なんとなく気になるから、っていうその自分のひっかかりについて、あれこれ外から言うんじゃなくて、じゃあ、とりあえずはやってみるか、と、その「???(ちょっと不信)」な世界に自分自身で飛び込んでみたこと。

ちなみにお茶をやってます、と言うと、「だいたいなんでお茶をいっぱい飲むためにあんな、しちめんどくさい手続きをしないといけないの?」「形式ばっている」などなど、ネガティブなことを言われることも、あるんですよ。

そういうとき、「いや、それはこれこれで・・・」と説明することはできるけれども、お茶の良さは、実際に習ってみないと、やってみないと、分からないのだと思うのです。

もちろん、習ってみて、やってみて、性に合わない、嫌い、などと感じたり判断したりということはあり得るし、それはそれでいいのだと思います。

ただ、ほんとに合わないのか、嫌いなのか、やってみないと分からないんですよね。

コーチングもね。やってみて、受けてみて、合わないとか、役にたたないとか、好きじゃないとか、思うなら、それはそれでいいんだと思います。

でも、批判したり馬鹿にしたりするほどには「ちょっと気になる」なら(笑)、「ものの試し」でやってみたら、存外面白いかもしれないのにな、って私は思ってます。