「色即是空」と「空即是色」についての個人的な気づき

「色即是空」という言葉が昔から好きだが、なぜ好きになったかというと、なんのことはない、「なんとなくかっこいいから」というきっかけだったような気がする。ただ、「しきそくぜくう」という音そのものに惹かれた、というのもあった。

好きになったあとでこれが般若心経の一節であることとか、その意味(真に理解しているかどうかは別として)について知ったが「空即是色」という言葉がいわば対になっている、ということについて知ったのはそのさらに後だった。

ほんの少し前までは、その語感も意味も、「色即是空」の方がなんとなく好き、という感じでいたが、最近になって「空即是色」もいいじゃん、と思うようになった。まあ、こうやって分けてどっちが好き、っていうことじゃないとは思うが。

「色即是空、空即是色」と反復することによって一切の存在が空であるということを強調しているのである、と本で読んだが、やっぱり順番が違うんだから、多少は感覚が違うような気が、私としては、する(あくまで個人的感覚)。

そして前は、断然、「色即是空」の”順番”の方が自分にはしっくりと来ていた。こちらの方が「形あるものはみな空」の“順番”通りだし。

「空即是色」の“順番”が、しっくり来なかった。

だから、座右の銘は、と問われれば(誰にも問われたことないけど)「色即是空」と言うことはあっても「色即是空、空即是色」とは言わなかったと思う。

でも、ふと、こちらの順番(=「空即是色」)だと、空から何かを生むってこともある、全ては空から生まれるってことなのか?(そしてその生まれたものもまた、みな空である、ということなんだろうけど)と、最近思うになって、結局は「空」に戻る(?)としても、空からしか何かが生まれないってことでもあるのかなあ、なんて、思えるようになった。

そして、いわば「まるで空をつかむような」状態にいる時や似たような感覚に襲われる時(まあつまり、色々と見通しが立たなかったり、わけ分かんなかったりして、いわば”順調じゃない”時ね)、「あ、ひょっとして、ここから全てが生まれるってことか?」と思えるようになった。

一切は空。
これって、一切は空に帰す、ってことだけじゃなくて、一切は空から始まるってことでもあるんだな。そうか、そうだったのか。
順番じゃなくて、循環なんだ。

・・・↑てのはみな、個人的感覚/解釈で、般若心経はときどきながめるだけで、全然詳しく知らないので、果たしてこのことが私の勘違いや思い込みなのか、はたまた、基礎中の基礎なのに今更気がついたことなのか、分からない。

でも、

・・・・一切は空から始まるって、ことでもあるんだ・・・・・

これ、私としては、ここ最近の、大いなる気づきなのである。

ま、まだ気づいただけなんだけど・・・