偶然は、強く求める人のところに必然的にやってくる、と私が思った出来事
「偶然は、強く求める人のところに必然的にやってくる」
そういうこと、あるのかもしれないな、と私が初めて感じたできごと。
そのエピソードを綴るには、小学生のころまでさかのぼらないといけない。
(かなり長文です。)
小学5年生のとき、北海道の田舎町の小学校の児童会で何か役員をしていた(何の役員だったか覚えていないf^^;)。その時、ひとつ上の小学6年生でやはり役員をしていた男の子が、なかなか賢くて弁の立つ、そして嫌みなヤツだった。と、当時は思っていた。転校生で地元の子じゃなかったせいか、どことなく都会の匂いがあって、それもまた鼻についた。そしてそう思っていたのは私だけではなかった。当時仲良しだった同級生の女の子たちと「あいつ、ムカつく」(←という言葉は使っていなかったが、そんな感じのニュアンスのこと・・・「あいつ、おだってる」だったかな?)と言っていた事を覚えている。そして私のそういう気持ちは常日頃からその男の子に対する態度に出ていたと思う。
ある日、児童会の集会があって、その男の子が議長で私が副議長だった。のどかな昭和の時代の田舎の小学生のやることだから、別になんていうこともなく議事は進行したのだが、6年生のスネ夫とジャイアンを足して2で割ったような男子が、ど〜でもいいことをあげつらって、副議長の私がちゃんと仕事をしていない、というようなことを言った。全く言いがかりだった。私は「はぁ???・・・!!」と一気に怒り爆発、マイクを取り上げて「ちょっとあんたねぇ〜〜!!」と反撃すべく息を飲み込んだその瞬間。その議長をしていた男の子が、すっ・・・と無言で私を制して、マイクをとりあげ、堂々と朗々と、私がちゃんと仕事をしていること、細かいところで相談にのってもらっていて議長の自分は非常に助かっていること、などについて、述べたのである。
スネ夫/ジャイアンはぐうの音も出ないという感じ。
そしてそれは私も同じだった。
私とて、ど〜でもいいようなことでその男の子に対して、かなり嫌な感じの態度をとっていたと思う。そしてその男の子の聡明さや賢さや弁舌の明快さについても、女の子同士の絆の深さを確かめる義務(?)もあって、「むかつく」(←こういう言葉は使ってなかったけど、そんな感じ)としか評価していなかった。けれでもそういう私について、その男の子は「私情」(?)をはさむことなく、公正に評価していたのである。そして考えようによっちゃあ、そのスネ夫/ジャイアンの言いがかりは、それに乗じれば私をぎゃふんと言わせることができる機会だったのに、結果として彼は私をかばったのである。
・・・・まあ、小学生だから、↑のようなドラマが本当に展開していたのかどうかは分からないが(苦笑)、その時の私はそういう風に感じたのだ。そして、自分がとても恥ずかしいと思ったし、そのときのできことで、その男の子を手のひらを返したように尊敬するようになった(←・・・・まあ、あの、小学生なんで・・・・f^^;;)。
そして心底反省した(←ほんとです)私は、その男の子に対して、これまでの態度について謝らねばならぬ、そして集会のときの公正な態度と私を(結果として)かばってくれたことについてお礼を言わねばならぬ、と思い込んだのである。
集会のあと、その男の子に話しかけるチャンスはあった。
けれでも、これまでの自分の彼に対する言動を振り返るとバツが悪くて、そうする勇気が出なくて、私はそのチャンスを逃した。あとで、ちゃんと謝って、お礼を言おう、と自分に言い聞かせた。
が、相手は一学年上の男子である。彼の教室まで出向いていかねば話す機会はない。児童会の活動も、よく覚えてないがメインのものは終わってしまっていて、接する機会もない。校庭の裏に呼び出して告る、くらいのノリでなければ、全く話す機会がなかった。校庭の裏に呼び出して告るつもりは別になかった私はついに彼と再び話す機会がないまま、彼は小学校を卒業したのである。そしてそれは私にとっての大きな心残りとなった。
とは言え、そこは田舎町。みな同じ中学校に進学する。自分も中学に行けばまた話す機会もあるだろう、そしたら、いつか謝りたいな、お礼を言いたいな、とタカをくくっていた小学6年生だった自分にニュースが。
その男の子が本州に引っ越す事になったとか。もともと転勤族だったということなのだろう。お別れのあいさつの時、泣いてたんだって・・・と、その昔一緒になって「あいつむかつく」と言い合っていた女の子の友達が、ちょっと気の毒そうに私に言った。
う、っそ〜・・・・・・
今みたいにSNSもない。
もともと地元の子じゃないから、親同士が何らかの形でつながっているとかそういうこともない。
彼と私のつながりは全くない。
そして当時の本州は「内地」と呼ばれるだけあって、小学生の自分には外国みたいに遠く感じた。
もう、2度と会えない。もう2度と彼に謝るチャンスもお礼を言うチャンスもない。
あの集会のあと、やっぱりちゃんと話しかければ良かった。
と後悔しても、もう遅い。
何かがばっさりと断ち切られたようで、当時の自分にはとってもショックな顛末だった。
その後、中学2年生の時に、私も茨城県に引っ越した。
最初は新しい環境に慣れなくて結構大変だった。
そして自分も「転校生」になったせいか、不思議なことに、不思議ならくらい、転校してやってきて転校して去って行ったあの男の子のことを頻繁に思い出すようになった。
そして私はそのたびにもう絶対に会えないんだと確信する一方で、あの子にもう一度会いたい、とこれまた不思議なくらい、強く思った。
強く、強く、願った。
その当時、日記をつけていたが、日記にもよく書いていた。
(↓いかにも思春期まっただ中、って感じではありますがf^^;;)
「X田○△ くんに、もう一度、会いたい。」
けれども、友達もできて新しい環境に慣れて・・・という中で、その男の子のことはだんだんと、そしてほとんど思い出さなくなった。
・・・ここまでが、前置きです(長いよっっ)。
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それから、15年経って。
26才のとき、アメリカの大学院に留学する直前の春、転校先の茨城県の中学校で仲良くしていた同級生が結婚することとなり、私は当時の女友達と4人で、結婚披露宴にて『てんとう虫のサンバ(の替え歌)』を歌うという大役を仰せつかった。結婚披露宴の後は新郎新婦の友人で2次会、という段取りで、1〜2ヶ月前だったと思うが2次会の案内が来た。
2次会の発起人は新郎の会社の同僚の、X田○△ さんという方。
その名前を見て、一瞬、止まった。
ああ、あの男の子と、同姓同名なんだ。
それほど珍しい名前じゃないし、偶然だな。
そう思って、そしてすぐに忘れた。留学直前の準備もあるし、東京のアパートも引き払わないといけないし、友達の結婚式で「てんとう虫のサンバ(の替え歌)」を歌う練習をしないといけないし、私は忙しかったのである。
結婚式当日。
無事に(?)てんとう虫のサンバ(の替え歌)を歌い終えた新婦の中学時代の同級生は私を入れて4人。新婦側では、披露宴にも2次会にも出席するのはこの4人だけだった。同様の出席者が新郎側にも数人いて、じゃあ、2次会までの時間つぶしに、四谷で花見でもしながら飲みましょう、ということになった。
礼服姿でわいわいと新婦側と新郎側の友人たちが桜の木の下で自己紹介。その中に、2次会の発起人であるX田○△さんがいた。X田○△さんのことはそれまですっかり忘れていたが、その顔を見た私は反射的に聞いた。
「あの、X田さん、ご出身はどこですか?」
「え、大阪です。」
「ずっと大阪ですか?」
「・・・(なんでここでそこまで突っ込むの?という感じの短い間。笑)そうですけど。」
ああ、だよね。
まさかあのX田君のわけがない。
でも、桜の下でわいわいと飲んだりしゃべったりしていた私は、ふと、思ったのだ。
(似てる・・??)
(いや、でも違うよ。だってずっと大阪だって言ってたし)
・・・しばし歓談・・・
(やっぱり、似てないか?・・・いや、いや、そうでもない・・・あれ、あれ、似てるよ。あれ、あれ、この顔、え、この顔、似てるよ。)
私はもうその人から目が離せない。ガン見とはこのことかというくらい、じろじろと顔を見ていたと思う。その件の彼も、不審に思ったことだろう。
その間ずっと、私は心の中で
(似てる。似てる?あれ、あれ、違う?似てる?)を繰り返していた。
そしてついに「結論」に達した。
(似てる。似てるよ。そんで名前も同姓同名?こんな偶然、ありえない!)
私はもういてもたってもたまらない気持ちを抑えて、何気ない振りを装って(できてなかったとは思うけど。笑)、聞いた。
「あの、X田さん、昔、北海道に住んでいたこと、ありませんか?」
X田○△さんは、フリーズして私を凝視した。
「え、あるけど・・・え、なに?なに?ちょっと待って、え、やだ、これ、何?」と言いながら、ほとんど「驚愕」した。
私の中で「結論」は「ほぼ確信」になった。
その時の私の目は「イッてた」と思う。
だが、私もなんだか恐くて、うわずりながら次に言った言葉は
「あの、なんていう町に住んでましたか?」だった。
人というのは体の奥に眠っている記憶が本人の意思に関係なく思いがけず急激に呼び起こされるとき、あんな風に尋常じゃない様子になるものなのだろうか?と、今にすれば思えるほど、その彼のうろたえ方は『恐怖』を思わせるものだった。
「え、やだ、やだ、え、え、やだ、ちょっと待って」などなどの発話を彼が繰り返したのはおそらく数秒の間だったと思うけれども(やたら「やだ、やだ」を繰り返していた)、あの時の私と彼の様子は端からみると異常だっただろう。私もほとんど「あう、あう」とうなるしかできなくて何かを言おうとするけど息がつまって言えない、くらいな感じで、私たちは互いを凝視していた。そして私が「新冠(にいかっぷ)小学校に通ってませんでしたか?」と言おうとしたまさにその瞬間、その彼が、文字通り、叫んだのだ。
「ふなやまさんっっっ!!!!!!」
と。
「そうっっっ!!!!!!」
とやっぱり叫んだ私。
そして驚いていた。
彼は、彼も、私の名前を覚えていた(思い出した)ということに。
周りの友人らは何が起こったか分からない。「ちょ、ちょっと、何、何、説明して」と促されて、私とその彼は口々に事情を説明した。彼いわく、「子供の頃の私の顔が、すぱーーーーっと、今の私の顔に重なった」ということであった。
そして続けて私は一気にまくしたてた。
小学生だった時、彼にとっても嫌な態度をとっていたこと。それなのに児童集会で公正にかばってくれて感激したこと、反省したこと。ずっとお礼を言いたかったし謝りたかったけど、チャンスがなかったこと。中学に進学したら話せると思っていたのに転校したと聞いてとてもショックだったこと。2度と会えないと思っていたけど、すごく会いたいと思っていたこと。
「ずっと、ずっと、謝りたいと思ってたんですっ!お礼を、言いたかったんですっ!もう一度会いたいと思っていたんですっ!!」
機関銃のごとく、まくしたてた。
15年、待ったのだ。そして会えたのだ。絶対に会えないと思っていたのに。
今、今言わなくて、いつ言うのか。
今言わなかったら、また言い損なって、今度こそ2度と言う機会がない。
と思っていたのだと思う。
そして言い切った。
中学の同級生のその時の顔を覚えているけど、「どん引き」してた(笑)。
いや、そこにいた人たち皆、その彼を含めて(笑)、「ど、どうしよう」って感じだった。
でも、私は満足だった。
26才の私が、ではなく、記憶の彼方に忘れさられていたはずの小学5年生の私が、満足していた。
2次会のあと、当時仙台に住んでいたその彼が新幹線に乗る前に一時間ほどだったが二人きりで話す時間が持てた。当時は二人揃って生意気であったことや、二人とも担任していただいた先生がとても良い先生であった思い出などについて、懐かしくそして和やかに話した。そして二人とも再会出来た事を心から喜んだ。たった一時間だったけれども、とても温かくそして不思議な時間だった。
26才だった当時は、実はあまりこのことの「すごさ」について、分かっていたなかったように思う。すごい偶然だなあ、とは思ったし興奮したし、嬉しかったけれども、当時はまだまだ若かったせいか、見えない糸のようなものが想像を超える緻密さと複雑さと突拍子のなさと必然性を持って人と人を結びつけたり(引き離したり)、できごとを采配したりする・・・・というような感覚を、あまり持ってていなかった。自分の努力やがんばりのようなものにもっと気がいっていて、ある意味でもっと傲慢だったせいか、人知を超えた何かに導かれたり引き寄せられたり、助けられたり時に貶められたりして人生が展開していく(こともある)ということが、分かっていなかった。同時に、茨城県に引っ越したばかりの思春期まっただ中の自分がどれほど強くX田○△くんともう一度会いたいと願っていたのか、ということにも、自覚がなかった(あとにも先にもあんなに強く誰かに会いたいと願ったことはないと思う。今ならまず無理。そんだけの根性も根気もエネルギーもありません。笑)
「偶然は、強く求める人のところに必然的にやってくる」
そういうこと、あるのかもしれないな。
この再会のことを思い出すと時、ふと、そう思う。
ちなみにそれ以来、今にいたるまで、X田○△くんと会ったことも話をしたこともない。
中学の同級生のだんなさんの同僚(少なくとも当時は)なのだから、その気になれば消息を知ることも連絡をとることも不可能ではないと思うけれども、なんというか、もう私はとても満足しているのである。

