和泉点前中

お茶との出会い


茶道、お茶、茶の湯・・・色々な言い方があるのですが、ここでは私が日常的に使う「お茶」という言葉を使います。

元々は、ほとんどの人がそうだと思いますが、お茶は「趣味」でした。それがいつの頃からか、半分仕事のようになり、今は自分のライフワークと言えるものになっています。

東京で働いていた20代の頃、近しい人に誘われて伺った篤志家のお宅で初めてお茶席に参加しました。とは言っても、とてもカジュアルな集まりで、お茶席というよりは茶話会と呼ぶ方が相応しいような会でした。その時にやはり初めて「お茶を点てる」という体験をしました。お点前などというものではなくて、ただ抹茶椀に抹茶とお湯を入れて茶筅をシャカシャカしただけです。そしてその時、とっても楽しい!なんだか好き!と思ったのが、私とお茶との出会いです。

ムーミンと濃茶

お茶ライフの始ま


その後、お茶を習ってみたい、という気持ちはずっとあったのですが、仕事を含めた日々に忙殺されて時間と心の余裕がなくて(と、当時は思っていて)、結局そのまま私は当時勤めていた会社を辞めてアメリカに留学。お茶のお稽古を始めたのはテキサス大学で博士号を取得し、熊本大学に職を経て日本に帰国、熊本に移り住んだ後—お茶との最初の出会いから10年以上経った時でした。

遠山皆具

熊本大学の教員として働き始めて間もないある週末、近所を散歩していたら、大きくて立派な日本家屋があって、その門の上に「表千家茶道教室」の木の看板がかかっているのを見つけたのです。私は迷わず門の戸を開けてそのお宅の敷地に入り、玄関の呼び鈴を押しました。家の中から玄関の引き戸を開けてくれたのが当時70代だった小田森先生でした。先生の顔を見るなり私が「あの、お茶を習いたいんです」と言うと、小田森先生は少し驚いたような顔をしましたが、すぐに「じゃあ、とりあえず明日にでもまたうちにいらっしゃい」と快活に答えてくれました。そして再び先生のお宅を訪ねると、先生はきちんとお着物を着てご自宅のお茶室に私を迎えてくださいました。そしてとても美味しいお菓子を出してくださった後に、これまたとても美味しいお茶を一服点ててくださったのです。

こんな風に、いわば文字通り門を叩いて、私のお茶ライフが始まったのでした。

一期一会

「細く長く」お稽古を続けて20年余


その日からもう20年以上経ちます。この20年を一言でまとめることはもちろんできなくて、私のお茶ライフには色々な側面があります。一つ言えるとすると、私は時間が余った時や暇な時間ができた時にお茶のお稽古に行っていたのではありませんでした。私はお茶に行くための時間をまず確保して、と言うよりはむしろ無理やりなんとか少しだけでも時間を捻り出して、お稽古に通っていました。

二重棚

とは言っても、仕事もですが子育ても(子育てが!笑笑)、目が回るほど忙しくて、お稽古をお休みすることも多かったし、たとえお稽古に行ってもその場に1時間もいられない、ということも頻繁にありました。そんな私の事情を小田森先生は理解してくれていつも優しくしてくれました。そして「今は思うようにお稽古できなくても大丈夫。できる範囲で、細く長く、お稽古を続ければいいんですよ」とよく言ってくれました。

そして私は小田森先生の言葉に従うかのように、無論その時々で思うようにお稽古に通えないことはあったのですが、その時々にできる範囲で、今までずっとお茶のお稽古を続けてきました。これからも続けると思います。今も、季節単位や月単位で予定を立てる時には(仕事などの自分で全てをコントロールできない大事な都合を除くと)まずお茶のお稽古の予定を入れて、そこをブロックしてから他の色々なことの予定を立てるのが常です。必要に応じて変更したりキャンセルしたりという調整もしますが、基本的にはお茶のお稽古を優先して月々や日々の予定を立てて暮らしています。

釣瓶の水指と平茶碗

結局お茶が好き


お茶やってます、と言うと、優雅ですね、とか、私も時間ができたらやってみたいです、などと言われたりします。お茶のお稽古を受けるのもお茶を教えるのも、私の生活も、全然優雅じゃないですし、それどころか—「忙しい」と言葉にしないようにしているのですが(なんか忙しぶるのがカッコ悪い気がして笑笑)—私の日々の生活は大学やコーチングの仕事だけでもかなり忙しいです。さらにお茶なんかしているので、輪をかけて忙しいです。でも、まあ、好きでやっているんだから忙しくても仕方ないかなと思うし、優雅に見えるなら上等かな、って思っています。

NYの師匠と
NYC茶の湯Week

そう、好きなんですよね。お茶が。
結局、それに尽きる、と言うのが一番的確かと思います。

お茶を教えることになって

今は自分のためのお稽古以外に、週末にニューヨークのマンハッタンにある「日本クラブ」のカルチャー講座でお茶のクラスを教えています。たまにですが、自宅にいらっしゃる生徒さんにお稽古をつけたり、出張でお稽古をつけることもあります。お茶の先生になりたいなどと思ったことは実はなくて、長く続けているうちに、自然にその道が開けたというか、必然的にそちらの方向に押し出されていった、という感じです。

テーブル茶道実演会場
日本クラブお稽古風景

平日に大学の先生をしているので、趣味の世界でまで先生はやりたくないなあ、と以前は思っていたのですが、諸事情とご縁でカルチャー講座の講師をすることになり実際にやってみて、教えることで自分が学ことが大いにあると実感しました。また、お茶に興味を持って来てくれる生徒さんたちがお茶にハマって行く様子を見ているのが嬉しいし、お茶を好きな人たちに囲まれているのが楽しいのです。平日に働いて週末にお茶を教えるということに関しては、体力も時間もちょっとキツいな、と感じることは正直あります。ただ今のところ喜びや楽しさの方が優っているので、こちらも自分のできる範囲でここ数年続けています。

お点前指導中

お茶って何が楽しいの?

夫に「素朴な疑問なんだけど、お茶って何が楽しいの?」と聞かれたことがあって、即答に窮しました(笑)。何がって聞かれてもなー・・・一晩中付きあってくれるなら、語るけど、と返答したら、引かれました。

お茶の世界って、本当に広くって深くって多岐に渡っていて、一生かかっても学び尽くせないことが保証済みなんです。そしてそれが逆に喜びでもあったりもするので、これが楽しいあれが楽しい、と限定して理由を述べることは、私には難しい。「私にとってのお茶はアートで、アートとして好き」さらには「自分はアーティストである」と言うお茶人さんはニューヨークでは比較的多い印象があります。一方、私は特段に「アートが好きだ」とか、ましてや自分がアーティストだと思えたことはなくて、彼と我の違いがなかなか興味深い、などと考えたりします。

春/西王母
秋/ハロウィン

何が楽しいの?という夫に疑問に、一つだけ、強いてあげるなら、そしてちょっとだけ天邪鬼的な言い方をするならば、私はお茶のとっても非生産的なところ、すぐに何かの役に立つわけじゃないところ、すぐに理解できないところ、が楽しいし好きかもしれません。

だって、結局のところ、究極的には、(お菓子を食べた後に)お抹茶を飲むだけ、なわけです。お茶を知らない人からしたら、なんであんなに色んな準備してあんなに色んな、それもヘンテコな儀式的なことするの???ですよね。非効率と無駄の極み、と言えば、その通りだと思うのです。そしてその非生産性と非効率性が、私は20年もお茶を続けている大きな理由の一つなのではないかしら、感じるところがあります。

もちろん、美味しいお菓子と美味しいお茶、これを毎回味わえるということ以上の楽しみは、ないのですが。

夏のお菓子とガラス茶碗