コスモスの思い出
もうじき、亡き母の命日である。
先日、叔母が(コスモスの写真を送ってくれた。「すずらん公園」で撮ったものだということだ。今はすずらんの季節ではないから、代わりに(?)コスモスが咲いていて、「コスモス公園」のようになっているということらしい(笑)。
実は一番好きな花はすずらんだ。小さい頃育った町には、家のすぐ近くに野生のすずらんが群生している野原があって、よくそこで遊んだ。すずらんはそんな幼い頃の思い出を呼び起こしてくれる花でもある。
次に好きな花はコスモスかもしれない(そして次はカーラかな。バラもチューリップ好きだけど)。ただ、コスモスにはちょっと悲しい思い出がある。母を荼毘に付す時、その火葬場までの行き帰りの道にコスモスが咲いていたのを見て「私はコスモスを見る度に今日の事を思い出すんだろうなあ」と思った。そしてまるでその時にそう自分に言い聞かせたかのように、コスモスを見る度にあの日のことを思い出すようになった。
でもある日叔母が私にくれた手紙の中で「あの日(母を火葬した日)もコスモスが道路に咲いていましたね」というようなことを書いてくれていて、叔母もあの日にコスモスが咲いていた事を覚えているんだなあ、と思って、ちょっとびっくりしたことがあった。そして叔母は「姉(=私の母)はコスモスのような人でした。コスモスのように強くてきれいな人でした」というようなことを続けて書いてくれていた。
それを読んで、ああ、そうだなあ。本当にそうだったなあ、と思って。それ以来、私の中で悲しかっただけのコスモスの思い出が、なんだか違うものへと変化した。コスモスを見るとやっぱり悲しかったあの日のことを思い出すけれど、でも、同時に、「コスモスのようだった」母のことも思い出すことができるようになった。そして可憐でいて力強いコスモスの花がとても好きになった。そしてそうなれて良かったと思うし、そうなれたこと、叔母に感謝している。
そして、なんとなく、母の命日にはコスモスの花を飾ってみたいような、そんな気持ちになっている。

