「もう、要らないのだ」と、最近思ったもの

モノを処分する時、思い出系のものは、最後にしなさい、みたいなことが巷の本には書いてあるようです。私は引っ越しを繰り返し、祖父母の家も父母の家も処分し、日本のすべて引き払ってアメリカに引っ越してきているので、基本的に所有するモノが少ないとは思います。(祖母の桐のタンスとか着物とかは持ってきましたが、それは『特別着物枠』ってことで。笑)。でも、ずっと悩ましかったのが、それなりの膨大な量がある写真や手紙です。(だって、三軒分=三世代分だから。笑)。祖父母と祖母の家を処分するとき、日本から越してくるとき、かなりの量を処分しましたが、それでもやっぱり、ばたばたとする状況で捨てるには忍びないものもあって、結構な量をアメリカまで持って来ていたのです。

でも、次にこの家から引っ越す時は(ほんの一部を除いては)もう持って行くことはしないと決めています。想定外のことがなければここにしばらくは住むつもりですが、でも、ずっと気になっていました。そしてつい先日、諸々のタイミングとか思うところあり、いよいよ開始。

まずは一番容易いグループから、捨てました。
私が(笑)両親や祖父母に出したハガキや手紙です。
ハガキや手紙はとても全部を読むことはできないのですが(もう、する気がないし・・・)、ざっと目を通したり、適当にピックアップしてちょっと読んでみたりしながら、断行、しました。

我ながら筆まめで(笑)結構量があり、母親がずっと大事にとっておいてくれたのかと思うと、少しひるみましたが、断行、しました。

そして感じたのです。
思い出は要らないのだ、と思っているわけではもちろんないのですが、ちょっとそんな気分を。
正確にこの気分をどう称すれば良いのか分からないのですが、こう、感じたのです。

もう、要らないのだ。

と。

なんだか、まるで、「もう、思い出も、要らないのだ」と、いう声が、自分の心のおく〜そこの方で、言っています。もちろん、そんなことはない、と自分では思っているつもりなのですが、でも、そういう声が聞こえたのです。

これって、どういう心境の変化なのかな?と、現在も、まだ自己観察中です。