ブーツの悲(喜)劇が映す私の心
先日、「信じられない!」と言うしかない出来事がありました。
息子のサッカーの試合に遅れそうになって急いでいたとはいえ、左右違うブ-ツを履いて出かけたあげくにしばらく気がつかないでいたのでした・・・!
実は先日もお茶会の会場で靴下から足袋に履き変えようと思って持参した足袋が両方とも右足用で、お茶会の直前に真っ青になったのも記憶に新しいのですが。
私、こういうこと、実は多いんですね・・・
それで時々(?)思うんですが、これだけ粗忽者なのに大過なく生きてこれたのって、わたし、マジで何かに守られてるかもって・・・f^_^;
で、この左右違うブーツを履いた自分の足下の写真を添えて、↑この顛末と感想(?)をフェイスブックにアップしたら、何人かの友人が(それも日本人もアメリカ人も)、そういう失敗を”人生においてはなんてことないことだ”って思えるのっていいよね、というようなことをコメントしてくれたんです。
で、いやいや、ちょっと待って、わたしゃあ、こんなドジをする自分の粗忽さが信じられない、って嘆いてるのに〜、てか、もう、笑うしかないっていうか、笑ってもらうしかないっていうか〜、とほほ、って気分なのよぉ!って、最初は思ったんですよね。
人様から見ると、私って「うはは〜、ま、こういうことって、どうにでもなるし、あんまり大事なことじゃないしぃ〜」って思ってるって見えるんだ、と思って、わたしったら、どんだけがさつな(人間と思われてる)わけ?と、それも、ちょっとだけショックだったんですね。
でも、そこであらためて自分を見つめてみると・・・
・・・確かに、私、瞬間的には「オーマイガー!!」と叫ぶくらい(実際叫んだ)びっくりしてショックでしたが、でも、そう、実は、「ど〜でもいいよ、こんなこと・・・」って思ってる?思ってる?思ってる?
うひゃあ、思ってるよ〜・・・と気がついてしまった。
いや、ど〜でもいいというと言い過ぎだけど、なんていうの、色んなことがある人生において、ブーツの右左を間違えて履くなんて(履き続けるなんて)、たいした悲劇じゃないな、って思ってる、と(いや、だけど、喜劇だろ、って話はあるけど)。
しょせん、こんなのたいしたことじゃない。
左右違うブーツを履いたから(履き続けたからって)だから、何なのさ?
って、私、実は心の底で確かに思ってる。
あげくのはてに、「いやあ、私ってば、守られちゃってるわ〜」などと、チョウ目出たいこと言ってる。
だから、こ〜ゆ〜失敗?を繰り返すのだなあ、多分。
と気がついたのです(え、今更?でも自分としては、発見!!)
それで、じゃあこれからは心がけを変えましょう、とか、いやいや、やっぱりブーツの左右が違ってもどうでもいいじゃん、ということじゃなくて(笑)。
けっきょく・・・「こう思っててもできない」とか「どんなに注意してもやってしまう」ということは実はなくて、行動というのは、人の心を映しているのだなあ・・・と、そして、自分自身はその(心と行動の)連携に案外と気がついていないものなのだあ、などと、(私自身に関してですが)思い知ったような気がしたのでした。

