14年前の9月11日
普段ほとんどテレビを見ない、ネットもしない、という生活をしていた私が同時多発テロのことを知ったのは、日本からかかってきた母親の電話でだった。
母親はメディアで知るアメリカ=アメリカだったから、テキサスを含むアメリカ全土が攻撃されるんじゃないかと心配していたけれど、当時の自分にとってニューヨークは日本よりも遠い場所で、そういう類いの心配はあましなかった。
当時そこにいた人たちやその人たちとつながりを持つ人たちの恐怖や苦しみや悲しみは想像もできないし、今も昔も、被害にあった方達やその家族や関係者の方達に鎮魂の祈りをささげることしか私にはできない。
そしてひとつ言えることは、遠くテキサスに住んでいた私自身がもっと「こわい」と思ったのは、むしろその後のアメリカの、空気だった、ということ。
モスクが攻撃されるのはもちろん、アラブ系(に見えると言えば見えるという程度の人を含めた)の外見の人たちが攻撃されたり、エジプト人でクリスチャンの大学教授が殺されたり、そういう話が、身近なところでも、数多くあった。私はそういう見かけでもなかったしイスラム教を信仰していたわけでもないけれど、そういう排斥と攻撃の空気が、いつ外国人である自分にも飛び火するかもしれない、向けられるかもしれない、そういう、うっすらとした恐怖を感じてしばらく暮らしていた。
同時多発テロの犠牲者のためにキャンパスで開催されたキャンドルサービスに出席したジャパニーズ・コリアンの友人は「みんなすごく感情がたかぶっていて、そこで誰かがRemember Pearl Harbor"って叫んで、おおお〜、ってなったから、身の危険を感じてその場を立ち去りました。だって彼ら、日本人と韓国人、区別できないでしょ」と話してくれて、それは二人の間ではシニカルな『笑い話』として話したけれども、「なんだかなあ・・・」とやるせないような、なんとも言えない気持ちになった。
そしてそういう色んな思いを私はアメリカ人の友人とシェアできなかった。なんというか、「めったなことは言えない」「マジョリティーと違う思いや見解は口にできない」(特に自分が外国人であれば)そういう空気があった。大学院の授業中のディスカッションでも何かの拍子にテロの話になったりすることがあったが、そういう時、そこには、語弊を恐れずに言えば、ヒステリックな空気があった。テロについての色々な思いや意見を交換できたのは、当時の私は、外国人の友達とだけだった。
唯一、当時(も今も)仲のよかったアメリカ人の黒人の女性の友人が「ああいうふうに今アラブ系の人たちを攻撃している人たちは、時が違えば黒人を同じように攻撃するのよ」ということを私に話してくれて、彼女とは色んな話ができた。
9月11日に思い出すのは、あの衝撃的な映像だけじゃなくて、当時ニューヨークから遠く離れたアメリカに住んでいた私のごく個人的な感情や体験。
そして、なんだか今も、諸々のことを見聞きする時、デジャプを感じることがある。

