"How simple is that?" シンプルにいこう。

最近、空手女子をしておりますが、アメリカに越して来てしばらくの間はもっぱらヨガ女子でした(ヨギー=Yoggieと言うらしいけど、う〜ん、そう自称する自信がまだないです・・・)。ところが空手を始めるのとちょうど前後して、比較的近所にあったヨガ・スタジオがふたつともクローズ(ひとつはお引っ越し)。空手もいいけど、定期的にヨガもやりたい私としては、ちょっと困っております。

で、今日、30分運転して以前通っていたヨガ・スタジオの新しいロケーションに行ってまいりました。(往復1時間、ってヨガするには、やっぱり遠いよ〜。もう、なかなか行けない。涙)。

今日言ったクラスのインストラクターは前も習っていた女性で、小柄ですがパワフル、かつ優しさ溢れる素敵な女性。

彼女は毎回レッスンを始める前に「今日のテーマ」について話します。そしてちょっとしたエピソードを紹介する。

本日のテーマは「simplicity=シンプルであること」でした。そしてエピソードはセミのこと。はしょって言うと、こんな感じ。

セミの営みは非常にシンプルである。セミはおそらく何も考えていない(そりゃそうだ)。でもシンプルな営みをただすることから、あのような複雑な美しさ(=セミの鳴き声のこと)が生まれるのである。これは人間にとっても重要なことではないのか。我々はしごくシンプルなことをあれやこれやと考えすぎるのではないか。ただシンプルな営みをすれば、複雑な美しさにつながるというのに。

はあ?と最初は正直思いました。だいたいまず、cicada=セミ、っていう単語がすぐに思い出せなかったしね^^;; 今日は「セミ」なのお?みたいな感じ(笑)。

でも、今日はレッスンしながら、このこと(=simplicity)に意識を向けましょうね、と言われて、レッスンが進んで行く中でポイントごとに「自分のsimplicityに戻るのよ〜」てな感じのことを鈴の鳴るような声で言われ続けると・・・

あら不思議。「・・・・だよね〜・・・」なんて、“腑に落ちちゃう”のです。ま、ノリやすいっちゃノリやすいんですけど、私も。

今日のレッスンを通じて思ったことが主にふたつあって、まずはやはり、「身体を使う」ということは、「腑に落ちる」というプロセスにおいて、とっても大事なんだとを改めて実感。「シンプルに生きましょう」って雑誌に書いてあっても、いくら言われても、そりゃそうだ、そうしたい、って思っても、それを「体感」できるかどうかで、やっぱり「効き目」が違う気がする。今回の場合はただ単に「身体を動かしながら」というレベルかもしれないですが、でも、ヨガの色んなポーズをとりながら「シンプルね〜、シンプル、シンプルを感じまひょ〜」なんて感じで意識をむけていると、「・・・だよね〜・・・な〜んで、私ってば、こちゃこちゃこねくりまわしちゃうわけ?シンプルだぜ、シンプル〜」って、す〜、っと自分の思考が身体に沁みていくのです。インストラクターの導きも大きいとは思うのですが。

全く同じではないですけど、コーチングでも身体を使うというスキルがあってとてもパワフルだし、レゴのワークショップも、手=身体を使うことが、肝なんだと思うんですよね。

で、その後どういうことが起こったかというと、帰宅してから「やらなきゃいけないけどなんかめんどくさいんだよね〜」という類いの「重要だけど緊急じゃない事務作業」を心理的負担感なく処理し始めたのです、私。「えいや」じゃなくて、「シンプル、シンプル〜、ただやりゃあ、いいのよ〜」みたいな感じで。

やっぱすごいな、ヨガ。

で、次に思ったことは、インストラクターに言われたまんまのど真ん中なんですけど(笑)、やっぱり自分はいろんなことを難しく考えすぎるクセがあるのかな〜ってこと。いわゆる「こだわり」は少ない方ではないかと思ってますし、特に対人関係においては結構「流せちゃうタイプ」だと思っているのですが(これは、良くも悪くも、です)、自分のことに関して自分の中であれこれと理屈をこねたがるクセみたいのはあるんですよね。ま、大学所属の研究者だったし、論文書くのが仕事の一部だ(った)し、職業病みたいなとこもあるとは思うんですけど。

それはそれでいいことも多いにあるけど、なんか、ほんとに「ちっとも難しくないことを自分でこねくりまわして難しくしちゃう。あげくの果てにそういう自分(の論理)に悦に入っちゃう。だけならいいけど、結果自分の首を絞める」みたいな傾向が・・・・あるある。

あるんだよ〜。

上記の「やらなきゃいけないけどなんかめんどくさいんだよね〜」という類いの「重要だけど緊急じゃない事務作業」(ちなみに事務作業なので、別に難しくはない)を、どうしてあれほどに面倒くさいと感じていたのか、いつまでたっても手をつけなかったのか、と言えば(う〜ん、これは、コーチとしてはあるまじきことを暴露してしまっているような・・・??)、私の今回のケースに限っていえば、やっぱりシンプルなことを自分で勝手にシンプルじゃなくてしてしまっていたから・・・みたいなんです。

それは、このことをしたらこうなってああなって素晴らしい!素敵!逆にこのことをしなかったら、こうなって困る!大変だ!とか、なんか、ただのシンプルな事務作業なのに、自分で思いっきり脚色して、ふくらましてしまったとでも言うのでしょうか。仕事を志事と呼ぶ言い方が最近ありますが、その「志」がただの「仕事」をばけものにしちゃうとでも言えばいいのでしょうか・・・

あと、なんか素晴らしいことをしよう!とか、素敵なことをしよう!とか、とか思っちゃうと、それを達成するプロセスも、素晴らしいことや素敵なことのはずなんだけど〜(なのにどうしてこんなにつまんないことや面倒くさいことしないといけないの?)っていう、思い込みがあるのかな。でも、だいたい、「素晴らしいこと」とか「素敵なこと」って・・・そんなごたいそうなことか???とここまで書いて、また思う。

つまりは、どんなに素晴らしいことであっても、素敵なことであっても、それを成し遂げるまでのプロセスを含めて、そのほとんどの部分は、シンプルなんじゃないの??ってことにあらためて気がついたというか、思い出したというか。

そう、セミの話と同じ。シンプルな営みが積み重なってこと、初めて、なにか素晴らしいこととか素敵なことが起こる。そしてその素晴らしいことや素敵なことすらも、実はすごくシンプルなことだったりする・・

とにかく。

アメリカのテレビのクッキング番組を見てると、「ほら、こんなに簡単にできるんですよ〜」っていう時に、”How simple is that?”って言うのを聞くことがあります。

How simple is that?

ほら、どんだけシンプルよ?
ほんとは、どんだけシンプルよ?
な〜んで、理屈こねくりまわして難しくしちゃってるの?
志事はいいから、仕事しなさい。ただやりなさい。
そう、何かにあらためて言ってもらったような気分がしています。

あるいは自分の中でいねむりしていた声が、今日のヨガをきっかけとして、自分の身体の中で響いたのかもしれません。

シンプルないとなみ=仕事(このブログに限っての使い分けです)を積み重ねていけば「志」は叶うわけだし、逆に、そこからしか、叶わないわけだし・・・
そんなことを感じる夏の夕方。

<以下、蛇足>
てことで、お「仕」事ね。当面はお「志」事じゃなくて、お仕事しよう。
で、今の「お仕事」としては、まずは家族の夕飯作りか〜。
ああめんどくさい。だいたいなんで私が...だいたいさあ、女性の活用とか言ってるけどさ〜・・・
おっと。
シンプル、シンプル、シンプル。
ほら、めんどくさくない。(うそみたいけだけど、今の時点で、かなり効いてます。だって午後5時半の時点で実はもう下ごしらえができている!!これはスゴい!!笑)
だいたい「仕える」こと、が「仕事」だしね〜。はいはい、家族に仕えちゃおう。シンプルシンプル。
今晩は、志のある料理は作れないけど、家族に仕える料理はできそうです(笑)。