エネルギーの種類
私は14歳の時に、競走馬で有名な北海道の小さな町から茨城県に引っ越しました。父の転勤です。
で、当時は知らなかったのですが、どうも父はいわゆる「左遷」されたらしいのです(笑)。別になんかへまをやらかしたといことではなくて、北海道ローカルの小さな会社の出世競争(?)”らしきもの”にやぶれ(晩年父が言うには、社長の甥にはかなわかった、みたいなことですが、真相は謎)、ポストがないから遠くの出張所へ行かされたみたいです。
昭和50年代の当時、北海道から茨城って、すんごく遠かったんです。心の中でね。だって本州のことを「内地」って呼んでいたくらいだもん(てことは、こっちは「外地」かい?どんだけ遠いんだけよ、って感じ)。ましてや我が家は親戚一同みんなみ〜んなひいひいじいちゃんの代くらいから道産子。当時の私たちにとっては北海道を出て暮らすなんて、外国に行くみたいな感じ。親戚中、大ニュースです。戦後ブラジルに渡ったという大叔父さんと同じくらいの覚悟がいる感覚です(ま、比べ物にならないんですが、あくまで感覚ね^^;;)フェリーに乗る時、叔母(母の妹)が泣いてましたもん。
何が言いたいかというと、それだけ「飛ばされちゃった」感のある、当時の転勤だったんです。多分ね。
実際、子供の私の感覚でも、「内地」は北海道とすご〜く違って、まじで「これがふつうの(?)日本だったのか!道路、せまっっっ(おまけにくねくね曲がりまくりだよっっっ)」と思ったし、「じゃがいも、まずっっっ」と思ったし、夏は「どうしてじっと座っているだけで汗が出るのだ!?」と驚いたし、初めて遭遇するごきぶりはショーゲキでした。40年近く道産子しかやったことのない当時の両親にとって、ギャップは余計に大きかったろうなと思います。そしてきっと、色んな意味で、大変だったろうな、と。
父は結局数年の後会社を辞めて、茨城県で自分で事業を始めました。いろんな時があったようですが、茨城県で培った人脈に助けられたようです。私を無事に大学そして大学院にまで行かせてくれて、最終的には引退を決めたときに会社を整理して(敷地の整地まで自分で重機を運転してやったというのが父の自慢。笑)、北海道に戻りました。当時お世話になっていた会計士さんに「長年この仕事をしていますが、会社を終わりにするとき、夜逃げせずにこうやってきちん整理した人は初めてです」と言われたということを、父は誇りにしていました。
つまり、おおむね、うまくいったわけです。
父がもといた会社はその後斜陽の一途をたどり、私たちが住んでいた町にあった事務所も工場も閉鎖されました。
私が志望した大学に進学できたのも、留学できたのも(そして留学先で知り合った夫と結婚したのも)、父母がお相撲を桟敷席で見たりプロ野球の日本シリーズを見たりする体験ができたのも、全部全部、この「左遷」がなかったら、なかっただろうなと思います。
実際、「あのときはどうなるかと思ったけど(←あ、やっぱり?笑)、結局、茨城に来てよかったね」と母が言ってくれたんだ、と父は母が亡くなったとしみじみと言っておりました。
では父はというと、当時のことを振り返って(たいていそういう時は酔っぱらって懐古してるわけですが)、「あのときは、くやしかった。こんちくしょう!と思った」というようなことを、一度私に話したことがあります。「そして、よし、だったらやってやる!と思った」のだそうです。
人間万事塞翁が馬。両親の人生とその娘として歩んだ道を思うと、確かにそう思います。そしてもうひとつ、何かにがんばることを可能にするエネルギーの種類というものを、考えたりします。
ここからようやくコーチングっぽい話になります(相変わらず前置きエピソードが長くてすみません。)
私が学んでいるコーチングでは、「恐れ」や「不安」にかられて何かをしなければ、と考えたり行動したりすることや、そういうエネルギーをあまりよしとしません。そうではなくて「願い」や「夢」から生じるエネルギーを持ちましょう、って感じのことをクライアントさんにも伝えることが多いです。そして自分自身の経験からも、ほんとにそうだ!って思ってます。
で、この「恐れ」と「願い」のエネルギーの違いについてはまた後日書きたいのですが、じゃあ、当時の父を動かしていた最大のエネルギーって何だったのかな?っ思うと、それは「願い」や「夢」・・・じゃ、なかった気がする・・・んですよね。あはは。
もちろんロングランのエネルギーとしてはそれもあったと思うのですが、当時の父が「奮起」して「だったら、やってやろうじゃあないか」とがんばった、いわばスタートダッシュのエネルギー、それは、ど〜考えても、「こんちくしょう!エネルギー」(笑)、だったんだろうなと。父は、相当悔しかったんだろうな、と。
こうして書き綴っていると、でもさ、結局あのとき悔しい思いをして、良かったんだよね、おとうさん、と話しかけたくなります。そして思うのです。ああ、この「このやろう、今に見ていろエネルギー」、自分にも遺伝してるわ、と(笑)。
今まで生きてきた中で何回か(ま、たいしたことないんですけど、私なりにね)悔しくて悔しくて、うなりたくなるような叫びたくなるような思い、をしたことがあります。特定の人(たち)に対してって時もあるし、もっと広い意味での状況に対してだったりってこともあったと思います。私だけじゃなくて、きっと多く人がそういう経験してますよね。
そういう時にどうするか。そういう時に何をするか。
「自分はそんな悪い目にあってない」と見ない振りをする。若干無理矢理でもポジティブに考える。おおいなる愛でもって人を許す。表面的には何ごともなかったように振る舞う。うじうじと誰に対してでもない言い訳をする。一人暗く落ち込む。そいつの靴にがびょうを入れる。陰でそいつの悪口を言って陥れおうとする。前後が分からなくなるほど飲んだくれる。
色々あると思います。
私は「ばっかやろ〜〜っっ!」って叫んで(壊れないものを選んで。笑)床に投げつけたりししたこともあります(こわっっ)。
その後、そのままふて寝したり飲んだくれたりしたこともありますが(あとスイーツ大食いとか・・・ん?ていうか、こういうことは今も時々するかも^^;;)、さんざん悔しがると、不思議と、そう、ほんとに不思議と、その後「ふつふつ」と自分の中で何かがわきあがってくるのを感じることがありました。「こんちくしょうエネルギー」、です。
こういうエネルギーって、今時、はやらないような気がします。
そして、みんながみんな持っているわけでもなく、またみんながみんなそれを「認めて」いるわけじゃないようです。
きっと、ちょっとネガティブな感じがあるからか、あるいは泥くさ〜い感じがあるからでしょうか。
なんか、昭和の時代はもうちょっと認めてもらえていたのに、最近は日陰者、って感じ。
でも、私の短い人生経験から言うと、そういう時のエネルギーは、無敵です(笑)。ま、品も良くないし、そこには「愛」も「願い」も「夢」もないんだけどね(笑)。でも、そういうエネルギーが身体の中からわきあがるとき、我ながら、強かったと思います。(だから時々、人様の様子を見てて「そんなあれこれ言ってかっこつけてないで、もっとめいっぱい悔しがればいいのにな〜」って思う事があるんです。)
あんたどうしちゃったの?って自分で驚いちゃうくらい、行動量と集中力が上がります。そして時々「ぜってえ、見返してやる〜〜!フガッ(鼻息)」とか、つぶやいたりします。上述しましたが、これって特定の他人に対して、だけじゃないんです。状況とか、あと自分自身に対してとか、っていう時もあるんです。そう、自分にたいして「こんちきしょ〜〜、くやしいよ〜〜」って(笑)。
あと、スタートダッシュ時じゃなくても、長い旅路の途中で力つきそうになったときに、時々この感覚がわきあがって、なんとかその旅路を続けた、という経験もあります。
そんなこんなで、何かをやりぬいたりなしとげたりすると。
不思議と、そう不思議なくらいに。
その時には、もう、その「こんちくしょうエネルギー」はどこかに消えていました。行動量と集中力が高い状態に、その理由やきっかけが何であれ、一度入ることができて、こんどはその行動量と集中力そのものがエネルギーに転嫁されたのだろう、と思います。
「ぜってぇ見返してやる」と思ったあの人のこともこの人のことも、やりぬいたりなしとげたりした後は、もう、どうでもいい。心底どうでもいい。もう自分の敵じゃないから。
47歳になった今、ここまでの「こんちくしょ〜〜」を感じることは、以前に比べると、そうそうないですけど。
コーチングを学ぶ中で自分のエネルギー、とくにモチベーションにつながるエネルギーはどんなエネルギー?みたいなことを、一人で或はクライアントさんと一緒に考えること多いんですよね。
で、コーチングでは、上述したように「願い」や「夢」から生じるエネルギーが「おすすめ品」なんですけど。
私、クライアントさんには言ったことないけど、実は私が今まで最大瞬発力を発揮した時って・・・・この「このやろう、今に見てろ」エネルギーだったよね・・・って、父の左遷の昔話を思い出してて、ふと気がついたんですよね。
そう、そしていつも最後にはその「ちっきしょ〜」の対象は、関係なくなってたんだよね・・・・とも気がつきました。つまり、最大瞬発力を発揮してスタートダッシュしたあとは、別のエネルギーで持久戦に持ち込んでいたな、って。
だから。
そのエネルギーが、たとえ、「願い」や「夢」や「愛」から生じたものじゃなくても・・・別にいいんじゃないかなあ。
あなたの中にある(誰の中にもある?私の中にもまだある?どきっ)、その(ちょっと)暗めなネガティブタイプのエネルギー。ひょっとして羨望とか嫉妬とか?恨みとか?
あっても、いいんじゃないかな。
そして、できることなら、そのエネルギーを、思いっきり活用したらいいんじゃないかな。
スタートダッシュには、とっても使い勝手が良い燃料なんじゃないかと、思うんですよね。
だって、こういうネガティブエネルギーって、おさえてもおさえても、勝手に燃焼してくれるでしょ?使わない手は、ない!んじゃないかな、って・・・
余談ですが、「だから茨城に飛ばされて、俺は良かったんだよな〜」としみじみと語る父に、「じゃあ、おとうさん、今はおとうさんを飛ばした会社に感謝してる?」と訪ねたら「・・・・いや、してないなあ」だって。心の底から、ウケました。

