価値観

コーチングを行う上で、クライアントさんの「価値観」はどのようなものか、ということについてコーチとクライアントの間で共有しておくことがとても重要です。しかし、自分にとって何が大切で何が大切でないか、ということについて、きちんとゆっくり考える時間は日常生活の中であまり持てません。多くのクライアントさんが、心の奥底では分かっているけど日々に取り紛れて忘れていることが多いのが、実はご自身の「価値観」です。

ですから、コーチは多くの場合「導入セッション」と呼ばれるコーチングそのものとは別枠の時間を設けます。そして、コーチングを始める前にこの「価値観」を探るような質問を投げかけ、クライアントさんと一緒にクライアントさんの価値観を明確にしていきます。

この価値観を明確にしてゆくための質問や方法には多くのものがあります。私にとって「響く」質問のひとつは、「自分がこの世を去ったあとに、残った人に『どんな人だった』と言ってもらいたいですか」というものです。

ちなみに、実際のセッションではいきなりこういう質問を唐突に投げかけたりしません^^;; それなりの時間をかけてクライアントさんがよりリアルなイメージを持って状況を想像して質問に答えられるように促すために、あれこれと前段階を踏みます。(だから、その時のことを想像して泣いちゃう方とかいますよ。)

セッションでゆっくりと時間ととってきちんと自分と向き合うと、あらためて自分にとって何が大切で何が大切でないのかが分かります。つまり「価値観」を再認識できるわけです。

時にはただそれだけで、今悩んでいる事が、その「価値観」に照らし合わせてみればどうでもいいことだ、ということに気がつくこともあります。あるいは「やっぱりこうしたいんだ」という決断につながることもあります。

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(以下、長文でかつ個人的なことになります。それでも構わない、という方、お読みください。)

コーチングからは離れるのですが、「価値観」という言葉で思い出すのは、私の亡くなった父のことです。

私の父にとって、おそらくは最も大切であったことが「自由であること」でした。たまたまなのですが、私は父とのある会話を通してそのことを明確に知っていましたし、また、父自身の生き方をみるにつけ、父の私への関わり方を私自身が体験するにつけ、そのことについての確信が私にはありました。

父がかなり進行しているがんと診断された時、父は一切の医療行為を拒みました。その「拒み方」は、ちょっと、どうなの??ってレベルで・・・^^;;

検査入院するはずだった病院から文字通り脱走をはかるわ、公的機関から手配された訪問看護士さんに罵声を投げかけ追い返すわ・・・--;; (血圧もはからせない、って... どうなの??^^;;)
あげくの果てに、(肝臓がんだったので)一切禁止されていたのにも関わらず、自宅でお酒を飲んだくれてるし・・・
もちろん、私の家にもどこにも行かない、ずっと自分の家にいるのだ、と、てこでも動かない。
決して誰にも、管理されたくない、あれこれと一切言われたくない。
それが父でした。
もう自分のことを自分で管理することは、できない状態なのにも関わらず。

医者も親戚もケアマネージャーも看護士さんも、そして私も困りました。

医者には医者の職業倫理がありますし、ケアマネージャーさんも少しでも父の心身に良い事を、といろいろ手配してくれているわけですし、父のことをとても気にしてくれていた親戚にしても、やっぱりちゃんと入院して治療をして少しでも安全に過ごしてもらいたい、そして少しでも長く生きてもらいたい・・・と願ってくれました。

もちろん、当人である父の意志が尊重されるべきは当然とは言っても、最終的に判断をして「書類にサイン」する、その決断をするのは当時唯一の近親者であった私でした。

私は、結局、基本的に「父の好きなようにさせる」ことにしました。
(そうは言っても、私は当時父と離れて暮らしていたので、やっぱりいろんな手配が必要で、その手配をも拒む父にとのやりとりには、ほとほと困りましたが・・)

そりゃそうだ、って思います?ご本人がそう望んでいるんだから、って?

でも、そういう現場でいろ〜んな機関や人と関わった経験がある方なら、分かると思うんですが、これって、かなり、ふつうじゃないんです。「非常識」なんです。私のことを不道徳、と考える人もいたと思います。

だって、ねえ、余命幾ばくもない父親を遠くに一人残して、な〜んにもしないんですよ。

だから周りに迷惑もかかるし。父だって、身体、しんどいんだし。

非常識な父と非常識な娘。

いろんなことがありました。いろんな摩擦がありました。いろんなことを言われました。私には親子の情がない、冷たい、無責任だ、などなど、言われた事もあります。

父もまた、いろんな人からいろんなことを言われました。もちろん、心配ゆえ、ですが。

私はと言えば、相当父には腹をたてました。けんかもしました。なんとまあ勝手な親かと思いました。「少しは私のことも考えてよ!!」という言葉も投げました。余命いくばくもない病人とか関係ないほどの、大バトル(笑)。取っ組み合いまでしました。(するか!?ふつう^^;)

特に「何もしないこと」でかえって心配や迷惑をかけることになった、親戚には本当に申し訳なくてまた有り難くて、身が縮む思いでした。

でも私が結局「父の好きにさせる」ことを通したのは・・・
父にとって一番大切なことが「自由」だということを知っていたから。
父にとって一番嫌な事が、それがどのような形であれ、「管理される」ことだと知っていたから。
そして、誰でもない私が一番そのことを分かっているのだ、という確信があったからです。

結局父は、病気の進行状況から考えると、驚くほど「早く」に一人で自宅で逝きました。

もし、何らかの医療行為や管理を受けていたら、おそらく父はもっと長く生きたでしょう。そして最期に病院で息を引き取ったでしょう。そのときに、そばに私がいた可能性もあったと思います。

父が亡くなってから、色々な思いを抱きました。
今でも胸が痛むことがあります。

そしてほんとうに不良病人で周りのことをな〜んも考えてくれなかった父に対して、「おとうさん、ちょっとは私のことも考えられんかったんかね〜」と半ば飽きれ半ば怒る、ような気持ちになることもあります。

だけれど今も確信しているのは、父は父の「価値観」に沿って生き、そして死んだのだということです。
そして私は父の「価値観」をたまたま知っていて、また、共有していました。

だからこそ、一見非常識で不道徳な決断をして、父をはらはらいらいらしながら見ているしかありませんでした。

それを貫くためには、周りも大変だったけど、本人も大変だったと思う(失笑)。
そこまで「わがまま」になるって、なかなかできることじゃない。
だからこそ、少なくとも父に「後悔」はないだろう、とは思っています。

父の葬儀に来てくれた父の昔の友人に、父が亡くなる前の事情や様子を聞かれたので、上記のような話をかいつまんでしました。

そうしたら、何十年も前から父を知っていたその方、天を仰いだあと、目を閉じて、大きな嘆息とともにこう言ったのです。

「ああ〜・・・・・ふなさんらしいな〜・・・」と。
(「ふなさん」は父のニックネーム)。

私はその言葉を聞いて泣きそうになりました。

少なくとも父は、最期まで父らしく生き父らしく死んだのだ、と思いました。
そして、こう言ってくれる人がいて、良かったと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。