下手な鉄砲、数打たないと、当たらない
新しいことを始めるとき。
あるいはあまり展望がはっきりしないことをしなければいけないとき。
不安ですよね。
そして「ほんとにこのやり方でいいのかな?」って思って、あれこれやり方を変えてみたり。で、結局疲れるだけだったり。
こういう時、することをまず決めて、そのすることの「量」(あるいは「数」)を決めて、あとは何も考えずにその量/数に達するまで、淡々とこなす、というように私はしています。
で、この方法、時には有効だと思うので、ちょっとご紹介します。
良い例としては、私がアメリカでの大学院生活が終盤に近づいた時に日本の大学教員のポジションに応募して採用された時が挙げられると思います。
どこの国でもそうだと思いますが、日本の大学教員のポジションって、すご〜〜〜く狭き門なんです。実力も必要ですが、だからと言って、実力があるから仕事にありつけるというわけではない(実際、私の周りには、すんごく優秀なのに、ついに大学教員の仕事につけなかった、という人たちもいました)。
少しお見合いみたいな感じですが、採用側には「こういう人が欲しい」というのがあって(年齢、性別、性格、専門分野、経験、などなど色々)そことマッチしないと採用されないわけですが、その「こういう人」のほんとの詳しいところって、応募要項だけではなかなか分からない。
あと、最近では減ってきてますが、やっぱりいわゆる「コネ」とかもあるし。(コネがあるから即、採用、っていうことは、ないですけど。)
そしてなんと言っても、たったひとつのポジションに何十人と応募してくるわけですから。
だから、受かる可能性があるのかどうか、果たして自分が応募する甲斐があるのかどうかすら・・・ぜ〜んぜん、「分からない」んです。
でも、応募しないと、始まらないわけですよね。
ひょっとしたら、空(くう)に向かってただボールを投げてるだけじゃないの??という疑念や不安を持ちつつ、ボールを投げ続けないといけない。
これ、精神的にけっこうしんどいです。だって、まずは、必ずしもがんばったら報われる(=採用される)、ってわけじゃないんだもん。上述したように、実力があるから採用されるというわけでもなし、また実力がある人がいっぱい応募する中で勝ち残れるのか??という不安もあるし・・・
こういうとき、「ほんとにこれやって意味あるのかな?」とか「いっぱいすごい人が応募するんだから、自分なんかだめなんじゃないかな?」とか疑念とか不安とか、いっぱい湧いてくるんです。
でもひょっとしたら、投げたボールがどっかにあたるかも?なんてわずかな希望も持ちながら、ボールを投げる・・・
この「わずかな希望」も、こういう時は実はしんどい。だって、希望って、かなわないと、辛いじゃないですか?(笑)不採用通知が山のように届く訳ですから、そのたびにその「希望」が打ち砕かれるんですもの(笑)。
で、いちばんの落とし穴は、そういう疑念や不安や希望に翻弄されて、ストレスになって「行動が止まってしまうこと」です。
狭き門。だからこそ、ひとつひとつ丁寧に応募書類を仕上げて、応募し続けるしかない。のです。応募しなかったら、当然、採用されない。当たり前ですが、上記のような疑念や不安や希望にかられて「止まって」しまったら、何にも起こらないんです。
だから、「行動をし続ける」必要があるんです。
そこで、まずは私は100通応募しよう、と決めました。そして100通応募して全部だめだったら、その時に次のことを考えよう、と「決めた」のです。
だから、それまでは、なるべく何も考えずに、ただ、ただ、そう、ある意味でマシーンのように、それぞれの大学の応募要項に即した書類を書いて、郵便局に通いました(応募書類を出すために)。
その間、どんどん不採用通知も届きました。そしてもちろんがっかりしましたが、でも、とにかく、落ちてくさるのは100通出してそれが全部落ちてからにしよう、と決めて、出し続けました。
逆に言うと、私は100個落ちたら、その時点で大学の教員になるのをあきらめよう、と思ったのです。それは100個落ちたら、さすがにあきらめらるんじゃないかな、と思ったということでもあります。
つまり、「あきらめる」ためには100個の応募を出さないといけません(笑)。
100通、応募書類を出すのって、かなり大変です(笑)。
ただ、それをすることを「決めた」ので、もう何が目的か手段か分からない状態。
100通出す、ということが目標になって、何のために出すのか、本人も忘れている状態(笑、笑)。
でもね。100通出す、っていう「行動」”そのもの”は、時間や手間がかかるけど「難しい」ことじゃないんです。そんなにストレスがかかることでもない。
上記のような疑念や不安や希望に翻弄されて過ごすよりも、よっぽど「ラク」なんです。
本末転倒じゃない?という声が聞こえてきそう。
まさしく、その通り!!
でも、本来の目的とか夢とかにすがるには、状況はあまりに厳しかったのです。あくまで主観ですが。
だって日本の大学に関係する経験もコネも全くなかったし、実力だって、周りと比べて秀でていたかというと、そんなこともなかった。
だから私は100通という、ちょっと「え???」てな量/数(だけど、実現可能な量/数)を決めて、マシーンになりました。ほとんど「ゾーンにはいっている」カンジ(笑)。
毎日、毎日、だから私は、ひたすら、あまり将来のことを考えずに、100通の書類を出す事を目標として、応募し続けました。
私は結局50通の応募書類を出して、そこでやめました。
本人としては「あれ、100通出そうと思ったのに、半分で済んじゃったな〜」って感じでした(笑)。
結局熊本大学に採用されましたが、熊本大学は、私が50通目の応募書類を出した大学でした。
別に就職活動にこの方法がいいですよ、とかいうのが私の言いたい事ではありません。ちょっとばかばかしいしね。笑。
でも、少なくても、この「ちょっとばかばかしい」くらいの量/数を決めて(だけど、実現可能な範囲、というのが大事)、何が目的と手段が分かんないんだけど??っていう状態になることで、行動をブロックする疑念や不安や希望すらもを私は一時的にせよ忘れて、ひたすら「行動し続ける」ことができました。
この方法が誰にでもあるいはどんな状況にでも適当ということはないと思うのですが、私はかなりの狭き門を、経験もコネも全くない中で突破出来たのは、「する量/数を決めて、そこに達するまで、ただ、する」ということを、やってみたからだろう、とは思ってます。
そして、その時呪文のように自分に言っていた言葉が・・・「下手な鉄砲、数撃たないと、当たらない」でした。
いつまでも撃ち続けるのは辛いし、いつまで撃てばいいのか分からないのは、もっと辛い。
だから、「こんだけ撃ってだめだったら、さすがにあきらめらるべ?」っていう数を決めて、あとはひたすら、下手な鉄砲を撃ち続けました。
逆説的なのですが、まるで全部はずれるまで、撃ち続けよう、と決めていたかのようでした。
そうすると、玉が当たるとか当たらないとか、どうでもよくなっていたのです。撃つこと。撃ち続けること、すなわち、行動し続けること、が目的になっていました。
ちょっとクレイジーな感じではありましたが・・・実態のない(まあ、十分根拠はあったような気がするけど・・・)疑問、不安、希望−−つまり全ては自分で創りだす「恐れ」にとらわれて動けなくなってしまうよりも、得策だったな、と振り返って思います。
もしあなたがかつての私と同じように、展望も見えないし成功する可能性があるかどうかすら分からなくてもがいているなら・・・そして疑念や不安や恐れに翻弄されて実際の行動がとれない、そんな状況にあるなら・・・
まずは、玉の数を決めて(え???ってくらいの馬鹿馬鹿しい数、でも、実現可能な数)、それが全部はずれるまで、とりあえず、撃ち続けてみませんか?
あとのことは、玉が全部はずれてから、考えましょう。
もし全部はずれたとしても。もしそうだとしても。
その「自分で決めた」「馬鹿馬鹿しいほどの数」の玉を撃ちきったあとのあなたは、おそらく、今のあなたとは違うあなたになっていると思います。

