気休めだけど(だから)大事な時間
ちょうど旧正月の少し前に(1月の末)に引っ越しをしたのですが、それからひと月あまり、私は色んなモノを壊したり無くしたりしているのです。加えて、なんだか、ポカが多いのです。
車のドアミラーや買ったばかりのお皿を壊したり。結婚記念日かクリスマスかに(よく覚えていない^^;;)夫とお揃いで買った時計を無くしたり。飛行場を間違ったり。道を間違って遅刻したり。大事なイベントの日にちを間違ったり。
もともと粗忽ものなのですが、ぱっと思い出すだけでも、一ヶ月の間にこれって・・・さすがの私でも多すぎないか??いやあ、これって、なんだろ・・・疲れてるのかしらん・・・??それともどの占いを読んでも「今年の運勢は悪いです」みたいなことが書いてるから、自己暗示にかかっちゃったのかしら??
などなど、今日ぼんやり考えていて、ふっと思い出したこと。それは
「あれ、(実家の仏壇から持って来た)先祖代々の位牌やら両親祖父母の位牌やら遺影(とは言え小さいものですが)やらなんやら、(引っ越しのときの)箱に入れっぱなしじゃない??」ってこと。
(箱に入れるなよ!<おまけに入れっぱなしにするなよ!>、というお叱りの声が聞こえそう。はい、ごもっともです。ああ、罰当たり。汗)
いやいや、ちゃんと家を片付けてからおごそかに(?)出しましょう、と思っていて、気にしてはいたんですよ。で、2〜3日なら、まあ、いいだろう、と思っていて・・(じいちゃん、ばあちゃん、とうさん、かあさん、ご先祖さま、ごめんなさいっっっ)
1月の終わりに引っ越しをしたのですが、その後、泊まりがけで家を不在にすることもあり日本への帰国もあり、と、ばたばたとしていたせいか、まだ新しい家の片付けが終わらないんです(言い訳)。書斎に置こうと思っていたのですが、書斎の片付けが一番最後になって(言い訳)。
それでお位牌や遺影も箱に入ったままなんです〜〜。
今日、さすがに、「うわああああ、なんだか、良くないかも〜」(いや、当然、良くないって!!)と思いたって、出しました・・・まだ置く場所が無いから(なぜなら書斎が片付いていないから)、とりあえず食卓テーブルに並べて水をあげたりして・・・(汗)。
とは言え、とは言え、私は特定の宗教を信仰していませんし、お位牌や遺影にに本当に「魂」なるものが入っているとも、実は思っていません。ましてや、ずっと箱に入れっぱなしだったから先祖や亡くなった両親祖父母たちが怒ってたたったとも思っていません。
そういう考え方にものすごく違和感があるというわけでもありませんが、お位牌を大事にして拝むのって(お葬式と同じで)、亡くなった人たちのためじゃなくて、結局は生きている人が自分たちのために、いわば気休めにしていることだと思っています。
(でも、「うわ、なんか、やばいかも・・・私、なんて罰当たり〜〜(汗)」みたいな感覚だけは、やっぱり、あるんですけどね。実は私、お寺と親戚ですし・・・^^;;)
で、そんなこんなで壊しモノ続き、無くしモノ続き、失敗続きの一ヶ月を過ごしたあと、ようやく(ちょっとあせって。笑)お位牌などを取り出して、お線香をたいて、おりんを鳴らして、手を合わせてみました。
お線香の香り、って好きなのよね・・・おりんの「ち〜ん」という音も何とも言えず、好きなのよね・・・ああ、なんか空間がいいカンジ・・・
で、感じた事は、
こういう時間を一ヶ月も持っていなかったんだ〜。
そりゃ、そわそわとして落ちつかなく暮らしちゃうよね〜。
ってことでした。
ご先祖やら亡くなった人やらのご加護や怒りがあるやなしやは別として、特定の信心があるかないかは別として、こうして手を合わせて拝むという行為は、「何か」に対して心静かに向き合う時間をほんのわずかであっても持つこと、なのだな、とあらためて、感じたのです。
そして私の場合は、そのときに、嗅覚(=お線香の香り)や聴覚(=おりんの音)で気持ち良さを感じるということも、大事みたい・・・
ほんとうにわずかな時間であってもそういう時間を日常に持つということが、私の生活のリズムなり柱なりをなんらかの形で創っていたのかもしれないな、と。そして私はそれをこの一ヶ月間なくしてしまっていたのだな、と。
あるいは上記でも表れているように「いや、特にそんなこと信じてないし」とか言いながらも、どっかに罪悪感のようなものがあって、それが知らず知らずに自分を落ちつかなくさせていたのかもしれません。それに「気休め」だし、と思って毎日していたことを、一ヶ月間していなかったわけですから、気が休まりませんよね(笑)。
私の場合はたまたま、それがお位牌や遺影ににお線香を上げて水をあげて手を合わせる時間・・・なのですが、きっと誰にとっても、そのように「何か」に対して心静かに向き合う時間を日々持つということは大切なのだと思います。
その「何か」は自分自身の心や体かもしれませんし、特定の宗教のリーダーかもしれません。絵や文章を書いたりする時間がそれに相当するのかもしれません。
なんでも・・・良いのだと思います。
ほんのわずかな時間であっても、毎日の生活の中にそういう時間を持つことの尊さ。持たない一ヶ月を過ごしてみて、あれこれ壊して無くしてみて、前よりも身にしみた気がします。

