「人生っていうのは自分が何になりたいかじゃない。だれに必要とされているかなんだ 。」--by 欽チャン

あれは昨年度も終わりに近づいたころ。教鞭をとっていたサラ・ローレンス・カレッジにてまさかのそしていきなりの全学予算削減による(私の)ポスト削減という憂き目に遭い「まじすか?」と思ってたら絶妙のタイミングで「家から通える別の大学@NYC」にポストの空きが。ムリ目だったけどごり押しで応募してみたら思いがけず面接の運びへ。これはイケルに違いないと思ったら最後で落とされ、「(ここまで来て)うそでしょ?」と不遜にも思ったりして。これはもう大学で教えるのはお休みだなあ、と思って秋からの計画をあれこれとたてていたら、忘れたころに、このポジションの話が向うからまさに「降って」きて、「な、なんなの?」ととまどった。

春夏はそんなこんなでちょっと落ちつかなかった、というか、そのまさかのいきなりの憂き目から休む間もなく立ち上ってトライしたムリ目の応募にかなり時間と労力とエネルギーを使って、へとへとになった(こんなことなら最初から落としてくれよとも思ったが、まあ、それならそれでまた落ち込んだだろうけど)。

だからこの仕事を受けるのに、ちょっと迷った。ショージキもう、新しい組織で新しいこと(教科書も違うからまた最初から全部準備しないといけないし、とか)をやるのは、面倒くさく思えた。ちょうど大学の仕事以外のこともごたごたしたことが続いて、なんかおシゴトが「いやんなって」「めんどくさ」って思えて「考えてみればもう50だし(←50才以上の方に対して大変失礼な言い方f^^;;てか、まだ48だっちゅうの)、あたし、もう引退しようと思う」(←何からだよ?笑)と年上の女友達にほざいたら、「何言ってんの?全然意味分かんないんだけど??」と一蹴されたのもありがたかったけど、実は、やっぱりこの仕事をやろうと決めたのは、なんとなんと萩本欽一氏(欽チャンかよ!)の言葉にちょうど遭遇したからだったりする。それは

「人生っていうのは自分が何になりたいかじゃない。だれに必要とされているかなんだ 。」

ちなみに、いつも『何か』になりたくてがんばってきた私てきには、こういう言葉が私のココロの琴線に触れるのは新しい(笑)。
やっぱり年かも、と思う(笑、笑)。

必要とされているなら、その流れに逆らわずにやってみようか、なんかもう面倒くさいけどがんばってみようか、と、欽チャン(欽チャンかよ!)の言葉に遭遇して、思ってしまった。(そもそも大変ありがたいことだし)。

ということでこの9月から、SUNY Westchester Community Collegeというところで日本語を教えている。楽しくやってるんだけど、2時間半ぶっ続けで語学のエントリークラスの28人(多いよ!)をリードするのは、体力的に(いや、ほんと、「体力的に」笑)ツライ。授業中はともかく、終わるとぐったりして帰りの運転がまじ危ない。そしていつも声がかれてしまう。そのせいかコーチングの時に「一人」を相手に普通の声で話すという行為に体が癒される感覚すら覚えてしまう。

いや、てか、そんなに動き回らんでも、でっかい声でやらんでも、いいのかしらん。