外国の人と英語を話すことが全く平気になった

<クライアントさんご本人の許可を得て書いています>

「英語×コーチング」のクライアントさんには、実は前からの知人/友人、という方がいらっしゃいます。先日のそのお一人が、海外旅行されて実際に英語を使用するという環境に身を置くことがありました。

その体験を経て、そのクライアントさんがおっしゃっるには:

実は私(=船山)と英語で話すのは、すっっっっごく恥ずかしかった。そしてその恥ずかしい思いをしたあとだったので、外国の人と英語で話すことが恥ずかしくもなんともなくて抵抗感が全くなかった。だからいつもよりも/前よりもすらすらと問題なく話すことができた!!

ということなんだそうです。

へえええ。ほおおお。なるほど。
そういう私の(英語×コーチングの)使い方があるのね〜。
と、ちょいと、びっくり。

でも、確かに。
大変多くの場合、英語を話す際の一番大きなハードルって、メンタル・ブロックなんですよね。
だって単語も文法も、もう、ちゃんとアタマの中にあるんだもの。

もちろん、普通に日本で英語教育を受けてきて「話せないまま」オトナになった場合、それらをちゃんと活用してコミュニケーションをする、という段階に至るには、ある種の筋トレのようなトレーニングが必須ですが、それでもやっぱり、この色〜〜んな意味での「抵抗感」が一番のハードルである、という場合がとても多いと思います。「なんとなく恥ずかしい」もそのひとつ。

想像に難くないと思いますが、日本人同士で、それも以前からの知人/友人と英語で会話する、なんて、まず不自然だし(笑)、な、なんで、嫌だよ、変じゃん、“恥ずかしい”っていう気持ち、あって当然だと思います。

で、そこを乗り越えることができたのなら、確かに、外国の人と英語で話すことに対する恥ずかしさなんて、ないも同然、ぜ〜んぜん、平気だよね(笑)。

このクラインアントさんの場合、私と「英語×コーチング」のパートナーシップを結んだ時点で「できることは何でもやるのです」というご本人の決意の言葉があったように、その“恥ずかしさ”ハードルを「えいや」と超えています。
だからその時点で実は「変化」が始まっていました。

でも実際に私とセッションをする中でも“恥ずかしい”という気持ちはあったのでしょう。それは私も感じました。そうするとよくある「ごまかし笑い」が出たりするので。コーチとしては、もちろんそれも逃しませんでしたが(笑)。

今、笑っちゃったね(コーチングの「反映」のスキル、使用)。どうして笑っちゃうんだろう?あなたは何から逃げているの?何を隠しているの?と追求しちゃったりして(「確信」のスキル)。

別のところでブログに書きましたが、その回答に表出するのは、実は英語のハナシに終わらない自分自身こと、人生のこと、だったりするので、これがまた深い。

とにかく、コーチとしてのまた英語を話す上での先輩としての私から見ても、このクライアントさんはすごく変化しています。もちろん英語もね。とくにこのクライアントさんの場合はもともとお勉強としての英語には全く問題のないタイプ(でも身につけている英語のお勉強レベルと同じほどには話せないタイプ。日本人には多いですよね)だったので、こうして一度何かが「はずれる」と、速い速い。これからどうなるのか、ご本人もそうだと思いますが、私の方が楽しみに感じているくらいです。

で、告白するならば、私だって、ちょっとは恥ずかしいんだよ〜。そら、そうだろう(笑)。でも、もちろん、私コーチなんで、そこんとこはばっちり乗り超えた上でセッションに臨みます。(古いけど)欧米か?ってくらいイケイケで行きます。だってお金もらってプロのコーチとしてセッションするんだからね。

私は26歳の時にアメリカに留学したのが初めての海外生活で、それ以前は短期語学留学すらも経験していませんでした(お金もなかったし、英語もだめだ〜、って感じだったから)。だから、発音だって、構文なんだって、いわゆるネイティブちっく、じゃないんです。あくまでオトナの日本人が一生懸命勉強して(笑)ここまでできるようになりました、っていうヒト。

だから、心のどっかに、実は「ネイティブちっくでもなんでもない私がこんなこと=英語×コーチング=しちゃっていいのかな?」という気持ちがあったのも事実。今もちょっとあります(私って正直。笑)。

一方で、「だから、だから、分かるんだよ〜。クライアントの気持ちが。だからこそできるんだよ〜、こういう英語のコーチングが」っていうのも、それ以上にほんとです。

自分も第2外国語を同じようにオトナとして苦労して身につけました、という場合は違うかと思いますが、ふつう、英語のネイティブ・スピーカーには分からないです。「こういう」(どういう?)気持ち。

あと、あなたが「ほんとうはこういう複雑なことをこんなふうに深いとこまでこんな感じの小難しい表現で言ってみたいんだよ〜〜〜」って思ってて、でも、英語がそこまで追いついてない場合、ごめん、ネイティブ・スピーカーには伝わらない、分からない。「若干高尚な(?)会話」は成立しません。

だからお天気のこととか趣味のこととか日常のできごととかを話すことに終止する。それはそれでとても有意義な英会話の練習です。

でも、それが本当にあなたが英語で話したいこと?

同じように日本語を母語語として同じようにオトナになってから苦労した私は、分かっちゃいます。その気持ちも。あなたが本当は何を言いたいのかも。

告白といいつつ、宣伝になりましたが(笑)、私自身も「えいや」とやり始めて、それで「へええ」「ほおおお」と、この「ニッチ・マーケット」(笑)に予想以上に需要があるのだと感じてます(だって、毎月、新規のクライアントさんがいるだもん)。

でも、これも、やってみたからこそ分かること。やってみなかったら、それが吉と出るか凶と出るか、分からないんです。

てことで、本日のまとめに入るんですが、ここにいたって、英語×コーチングの範囲にとどまらない、というか、そこからはちょっとずれている、言葉が浮かんできました。

英語×コーチングについてもですし、通常のコーチングについてもですし、あと、コーチングと全く関係ないあなたの心の中にひっかかってる何か、についても、同じです。

やってみないことには、分かんないです。
吉と出るか凶と出るか。
その先に何が待っているか。待ってないのか。

分かっているのは、まだ何も分かってない、っていう、ただそのことだけ。
そして、やってみない限りは、ずっと分かんないまま、ってことです。

だったら、やってみれば?