doingとbeingと

コーチングや、自己啓発について学んでいくと、doingじゃなくてbeingが大事だ、という言説にかなり高い頻度で遭遇します。
つまり「何をするか」じゃなくて「どうあるか」をまず大事にしましょう。そこから「何をするか」を考えていきましょう、という感じ。

私はこのことに深く共感するし、ややもすると「何かしなきゃ、何かしなきゃ」とあせってもがいてばかりで、自分が「いかにある」べきか、あるいはありたいか、を忘れがちでもあるので、日々心したいな、と思うし、クライアントさんにも同様のことを伝えることがあります。

でもさ。

「ありかた」ばっかり考えて瞑想ばっかりしててもさ。
どんなに「ありかた」が素晴らしくても、そこから派生した「行動」がないと、意味、なくない・・・???

って、これも常に思ってます。

そして「ありかた」→「やりかた」、とくるのが、それは理想的なんだけど、いつもいつもそうそううまくはいかないし、って思うこともあるんですよね。

そんな時に「いいな」と思うのが、今までついた二人のお茶の師匠が二人とも言っていたこと。

「まずはお稽古。」

まず、やれ、と。まず、やり続けろ、と。

お茶の作法って、特に初心者にとっては「はああ???」って感じの、一見複雑なそして不必要にも見える手順が満載なんです。そして「そんなのどっちでもいいじゃん」みたいな、ちょっとした手の動きとか物の持ち方をうるさく言われます。

で、そこには理由も理屈も実はちゃんとあるのですが、最初はそれを聞いたって分からないんですよ。てか、手を動かすのでアタマいっぱいでそれどころじゃありません。

で、とにかく、ただひたすらまずはお稽古。繰り返し、繰り返し、同じ事をする。

そんなこんなで、何も考えてなくても自然に手が動くようになったり、間違ったときは、理屈じゃないどこかで「あれ?へんだぞ?」と感じるようになったり・・・そこまでくると、「ああ〜〜〜、こういうことか〜」と、「見えてくる」世界があるんです。全部、理にかなってる、無駄な動きは、ひとつもないんだ、と。

そして「よく分かんないけど」「まずはお稽古」な日々を繰り返しているうちに、どんなふうにお茶をたてるのか、というような個性が固まってきたり、お茶にたずさわる上での自分の「ありかた」みたいのがだんだんと自分で腑に落ちて来るというか・・・

「私はこれこれこういう気持ちと在り方でもって」と最初に決めて「ではお茶をいたします」じゃないんですよね。少なくとも私の経験では。13年やってみて、実はようやくお茶をする上での自分の「ありかた」みたいなものがぼんやりと見えて来たというか、少なくとも「こうありたい」みたいなものが出て来たというか・・・・

それまでは(なんかよく分かんないけど。笑)「まずは」「お稽古」な日々でした。今もですが。

何かをしながら、し続けながら、つまりdoingを通して、自分のありかたを見極めて行くすなわちbeingを固めていく・・・っていうこと、あると思います。すごく多いと思います。

だから、もちろん「ありかた」も大事で、それを深めたらり見極めたりって、何をするにも欠かせないことだと思うんだけど、それって「ありかた」をうんうんと考えて「止まってる」ことじゃ、ないんですよね。

do do症候群も困るけど、be beオンリーじゃ、どこにも行かない、と思います。

常套句ですが、やっぱりバランスが大事ってのと、beingを定めるために実はdoingが大事で、逆に、doingがうまくいくためにはbeingがちゃんとしてて初めてうまくいく、ということなんだと思います。

どっちかに偏っちゃう傾向が、私たちみんな多かれ少なかれあると思うのですが。

あなたはどっちでしょう?