言葉のインパクト

私は自分のことを「明るい」人間だと思ってますし、そのことについて肯定的に捉えています。

とは言え明るいこと(だけ)が良い、と言いたいのではなくて(ちなみに、私が成人してから「親友」と呼べるほど深い付き合いをするようになった女友達は、自他ともに認める「ネクラ」です。)私がそのことを自分の特徴だと認めかつ肯定的に捉えている、というところがポイントです。

それで、私という人間には他にも色々な特徴があるだろうし、他にも「良い」部分がたくさんあると思うのですが、ぱっと浮かぶ自分の「良い特徴」は「明るい」なのです。

最近、何人かの人から続けて「和泉さんは優しい」と言われることがあって、「えええっ?」とびっくりしてしまったくらいです。確かに、私は冷たい人間じゃないと思うし、優しいところもあると思うけど、自分が「優しい人間だ」と思ったことは、今までほとんどありません。

よく「しっかりしてる」とは言われるんです。小さいころから。だから「しっかりしてる」と言われても、そんなに驚きません。(ただ、実際にはそんなにしっかりしてないけどね、って思うけど、それはそれ。)ただ、この「しっかりしている」は私にとってはニュートラルな特徴。別に嫌じゃないけど、とくに自慢でもない、って感じなんです。

それではなぜ、私は「明るい」という特徴に関して自分でも明確に認識し、かつ、それを肯定的に捉えているのでしょうか。

・ ・・・おそろしいことに(笑)、私が青年期のころの母親の「つぶやき」に、どうもその原因があるらしいのです・・・・

私の母親は私をあまり褒めませんでした。とは言え、別に特に厳しかったとか、けなしてばかりだったとか、「私は親に褒められたないです・・・え〜ん」ということではなくて、「特に褒めない」って感じ。

あ、テストとかでいい点ととったりしたら「がんばったね」って言ってくれたし、お手伝いをすれば「ありがとう」って言ってくれたし、だから、そういう普通の会話の中で肯定的な言葉を娘に言うことはあっても、「わざわざ褒める」ということをしない人でした。

また、母は決して人様に自分の子供を自慢しない人でした。成績にしても容姿にしても性格にしても行動にしても。

「勉強ができていいね〜」「はきはきしてていいわね〜」「この間、XXしたのよね〜。えらいわね〜」「目が大きくてかわいいわね〜」「しっかりしてるね〜」「背が高くていいわね〜」(?)などなど、他の人が私を褒めてくれても、絶対に(笑)それに同調しない。

私は「県で一番」の進学校に行きましたし、有名私立と言われる大学にも受かりました。そして母は“絶対に”、そのことについて自分から親戚にも他人に言いませんでした。自慢しない、じゃなくて、言及すらしない。そのことでお世辞を言われたり褒められたりしても、ただ居心地悪そうに黙っているだけ。

成人式の写真を撮るときに振り袖を着た時に、(ま、ご祝儀代わりに)周りの人がきれいね〜、って褒めてくれても、絶対に(笑)同調しない、そういう人でした。

そんなある日、確か私が大学生くらいだったと思うのですが、親戚の人か近所の人か忘れましたが、私を母の前でやたら褒めてくれたんですよね。確かお勉強のこととか性格のこととか容姿のこととか色々取り混ぜて(笑)、ほめほめオンパレード、みたいな感じ。社交辞令が入っていたとは言え、「おばさん、それ、ちょっと言い過ぎじゃない??」って本人が思ったほど(笑)。

でも。

母は、ひょっとしたら嬉しかったのかもしれません。自分の一人娘が(あからさまなお世辞も入っているとは言え)そんなにも褒められたことが。

きっと、本当はいつも嬉しかったんだと思います。私が誰かに褒められたら。でも、何か、考えがあったのだろうと思うし(私を図に乗らせてはいけない、とか)、あと、母の性格もあったのでしょう、いつもは、かたくななまでに娘の自慢をしませんでしたし、褒め言葉に同調することもありませんでした。

ところが、その「ほめほめシャワー」を浴びせられた時、母の「堤防」がほんの少しだけ、決壊したのです。
そして母は、ぽつりと、こうつぶやいたのです。

「確かに・・・和泉は、明るいことは・・・明るいわよね」って。

(でも「そうなんですよ〜、うちの子、明るくってね〜、おほほ」みたいな感じは皆無。むしろなぜそんなにも控えめに発言??ってくらい。笑)

この時の私の驚きをどう表現したらよいのか・・・母は「だから和泉はグッドよ」って言ったわけじゃないんですよ。ただ、他人が私の「明るさ」を褒めてくれたことに「同調」しただけなんです。

だけど、上記のように「なぜそこまでかたくなに??」ってくらい(笑)、もし間違って自分の娘の自慢をしちゃったらどうしよう警戒していたんだじゃないかと思えるほど、人様に対して娘自慢にとられるようなほんのわずかの可能性も排除していた母が、他人の私に対する褒め言葉に同調したんです。

「和泉は、確かに、明るいわね」って。

この母の言葉にはとても大きなインパクトがありました。

「私という人間は明るい」っていうお墨付きをもらったような確信と、このこと(=「明るいこと」)は母親の堤防が決壊するくらいに「良いことなんだ」っていう肯定感が、この母のちょっとしたつぶやきで、私の身体の中に深く、深く、刻まれたのです。

エピソード自体が長くなってしまったのですが(笑)・・・・

私はコミュニケーション学を勉強していましたが、別に学問として「コミュニケーション」を考察する機会がこれまでなかった人にも、明らかだと思います。

人間って、言われた通りに、なっちゃうんですよね・・・・

あの母が、私を明るいと言うなら、私は明るいのだ。
あの母が、それを良いこととして表現したのなら、それは良いことなのだ。

良い事も悪いことも含めて、今の私の「人となり」に対して、母の言葉の影響が大きかったと思うし、大きな例、小さな例、色々浮かびます。

でもこの「確かに・・・和泉は、明るいことは・・・明るいわよね」という母の控えめなつぶやきに勝るインパクトがある言葉を、すぐに浮かべることは難しいんですよ。

人間って、言われた通りに、なっちゃうんですよね・・・・
うん、確かに。
でも、母もあんな「つぶやき」がこれほどのインパクトを娘に残そうとは、思いもよらなかったと思うのです。

肯定的な言葉にしろ、否定的な言葉にしろ、言った方は言われた方のインパクトを計算したり予想したりすることって、できないんですよね。

・・・・自分はどんな言葉でどんなインパクトを自分の息子に、あるいは人様に、与えてしまっているんだろうか・・・と考えると、ちょっと、こわいですし、言葉は大事にしないといけないなあ、と反省を込めてあらためて思います。