評価の中で褒めること

私は10年以上茶道を学んでいます。来週現在通っている先生のところで、「一、二、三」と呼ばれるものをします。これは「七事式」という普段のお稽古とは違う形式で行う七つの式作法のひとつなんですが、「亭主」(=お茶をたてる人)の腕前を客が評価する、というものです。

そして昨日のお稽古では、来週の「本番」前の練習ということで、私がその「亭主」役をつとめ、「お濃い茶」と呼ばれるお茶を他のお弟子さんたちのためにたてました。(来週の本番は別の方がすることになっています。)

私・・・結構長い期間お茶を学んでいるわりには、謙遜抜きで、結構「へぼ」なんです^^;; おまけにここのところ色々たてこんでいて、お手前をするのは数ヶ月ぶり・・・そして、「お濃い茶」は・・・1年近くやってないんじゃない???という体たらく。

もともと腕がない上に、すっかり忘れてしまっていて、ははは、ぼろぼろ。

で、それを上・中・下(そしてぞれぞれの中でさらに上・中・下がある)で「評価」していただいたのですが(作法に則って評価の札を箱に入れます)・・・

お仲間同士のことということもあり、「こんなに甘い評価をいただきまして・・・恐縮です」という感じではあったのですが、それでももちろん、みなさん長年修行されている方ですから、「上」の評価ではなかったです。本来はその評価を亭主が拝見してそれで終わり、なのですが、昨日は評価者も評価された方もその評価について思う事を述べるようにという先生からのお達し。「そうすることで勉強になるから」と。

そして私は「××ができてませんでしたね」というような評価をちゃんといただきました。はい、その通りです。ただ、みなさんそのあと、「でも○○が素晴らしかった」というように、私のお手前の良い部分についても述べてくれたんです。

ちょっと驚きました。そして嬉しかった。

なんか、「ああ、ここがだめだからもっとがんばらなくちゃ」もいいんですけど、そういう時って若干無理矢理自分をふるいたたせたりする必要があったりする。その無理矢理が全くなくって、ああ、またがんばろ〜、っていう気持ちに、自然に素直になれたというか。エネルギーをあえて自分で創りださなくても、自然にエネルギーがわき上がってきたというか。

それに「うわ、今日、ぼろぼろ〜」と自分で思っていたのでどこかどうへぼなのか、ということについての自己認識はある程度あっても、実は褒められた部分について、自分ではそうは思ってなかった、というか単純に「知らなかった」んですよね。

ちなみに「指先の動きなめらかで全体的にスムーズ」みたいなことを言っていただいたのですが。「え、そうなの?私、指先の動き、なめらか??うわ〜。ほんとに?知らなかった〜〜うれしい^^」って感じです。

悪いところを率直に言ってもらったのは、ありがたいことです。そういうことって、なかなか言いづらいことだから、相手のためにというよりは自分のために、言わないままにしてしまいますよね。ちゃんと言ってくれる、っていうのは、「気持ち」があるからこそ。

でも、さらに一歩ひいて、ちゃんと良いところも言ってもらうと、やっぱり嬉しい。悪いところばかりを言われると、アタマで納得していても、感覚的には「次」に行くまでにエネルギーを創りだす必要があると思うのですが、良いところも言っていただけることによって、そのエネルギーを向う様からもらえる、という感じ。

そして、帰宅する汽車の中でつらつら考えたことは、私は2年前まで大学の教員をしていて、卒論指導なども一生懸命やっていたつもりだったけど、なんとかもっと良い論文を書いてもらいたい!と思うがゆえに、ほめることにあまり意識がいっていなかったような気がする・・・ってことでした。反省。

ちなみに、私は授業だけ受けた学生からは「キビシい」先生、ゼミを受け持って卒論を担当した学生からは「案外(笑)優しい」「ツンデレ」(笑)などと言われていました。それはそれで、悪くないと思っているのですが、それはさておき。

私が指導した学生は(もともとマゾ気がある学生が志望してゼミに入ってきたせいか??笑)、みな一生懸命まじめにがんばって卒論を仕上げて卒業していきました。

でも、う〜〜ん、あのころ、いまのようにコーチングのことを知っていて、その考え方をとりいれることができていたら、そして上記のような思考をもっと普段からできるようになっていたら・・・

学生のモチベーションをもっと容易に高めることができたかもしれないし、私も、もうちょっと(さらに?笑)楽しく、指導することができたのかもしれないなあ、と思います。

卒論に赤ペンいれるとき、指導するとき、一生懸命なあまりとは言え、マジで眉間にしわが寄っていた気がするので・・・^^;;