50才の誕生日を迎えて

先日、50才の誕生日を迎えました。
その時にふとわきあがってきた思いを綴って、SNSの個人ページに投稿しました。
今の自分の、全てではないけれど大きな大事な一部分、が表れていると思うので、以下、紹介します。
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私が産まれた日は日曜日だった。50年後の誕生日もまた日曜日だ。
私が産まれた病院で母は死んだ。あの日も日曜日だった。
人が死ぬときに、最後まで残るのは聴覚なのだと、何かで読んだ。死んだ後すらも、耳は聞こえるのだと。だから私は、母の臨終の時、母の手を握りながら、母 の耳元でずっと母に呼びかけた。ほとんど叫び続けた。聴覚は残るけれども、聞こえにくくなっているから、大きな声で話しかけろと、やっぱり何かの本に書い てあったから。
楽しかったね。私たち、ずっと楽しかったね。
幸せだったね、私たち、とっても幸せだったね。
私、ずっとずっと幸せだった。
全部、全部、お母さんのおかげ。ありがとう。ありがとう。
私、ずっとずっと、いつもいつも、幸せだったよ。
全部お母さんのおかげだよ。ありがとう、ありがとう。
正確には覚えてないけど、こんなことを、繰り返し繰り返し、叫び続けた。
背中に触れる手を感じて、振り向くと、父が私を見下ろしていた。
父の目は涙でいっぱいだった。
あ、お父さんも、お母さんに何か言いたいのかな。
私が占領しちゃって、悪かったかな。
ふとそんな考えが頭をよぎった。
父は言った。震える声で。
先生が、待ってるから。
母の息はとうに絶えていて、私は死んでしまった母に、いつまでもいつまでも、叫び続けていた。そうとも気が付かずに。そんな私に引導を渡せるのは、父だけだった。
もう、だめなの?と泣きながら、父に言ったことを覚えている。
そして「先生」の方を見上げると、目に涙が溜まっているように見えた。少しだけ温かい気持ちになったような記憶がある。
私が父にうながされて母のそばを離れると、「先生」は母の体を調べて、時刻を言って、心拍が停止しました、というようなことを言った。
あの日曜日から10年近く断って、私は、50才になる日曜日を迎えようとしている。
母が死んだあの病院で私は産まれたのだ。
母が命をかけて、50年前にあの病院で私を産んでくれたのだ。
その40年後に自分がまさかそこで死ぬなんてこと、想像もしていなかったんだろうな。おまけに同じ日曜日だなんて。
そんなことを思いながら、なんとなく自分が生きてきた半世紀(!)を振り返るような気持ちになるのは(最初の数年は全く記憶がないにしろ)ありきたりなよくあることだとは思うのだけれど。
わき上がってくる思いは、死んでいく母に一生懸命伝えようとした言葉そのままだ。その時は、ただ母にそう伝えたいことの方が大事で、自分が本当にどう思っているのかは、二の次だったけれど。
私は、ずっと幸せだった。
ずっとずっと、いつもいつも、幸せだった。
父母に恵まれ、祖父母に恵まれ、親戚に恵まれ、健康に恵まれ、教育に恵まれ、機会に恵まれ、仕事に恵まれ、結婚(夫)に恵まれ、義理の家族にも恵まれ、子供にも恵まれてきた。
そして同僚に、友に、恵まれてきた。
人に恵まれてきた。
(ついでですが、若かりし頃お付き合いさせていただいた殿方も、誰も彼も、いい人ばかりでした←チョウ蛇足?笑)。
あの日「全部全部、お母さんのおかげだよ。ありがとう」と言った、その言葉を、友と呼ばせてもらえる人達に、伝えたい。
そして人知れず(笑)私の投稿をいつも読んでくれている、家族や親戚にも伝えたい。
私はずっとずっと幸せだったし、今もすごく幸せです。
この根拠のない(?)多幸感、ショージキ、ヤバい(←本来の悪い
方の意味f^^;)んじゃないの?? と思ってしまうくらい、幸せ感じてます(笑)。
みなさん、一人一人のおかげです。
ありがとうございます。
残り(?笑)の人生も、どうぞよろしくお願いします。